懐かしの平成サッカーエピソード、いくつ覚えていますか 「Jリーグ初のゴール」「Jリーグカレー」「森本毅郎、Jリーグ激怒?」|中川淳一郎
そして、当然関連グッズ(便乗グッズ)も多数登場したが、もっとも名高いのが永谷園のレトルトカレー「Jリーグカレー」だろう。ヴェルディをイメージさせる緑のユニフォームを着た少年「まさお」がJリーグカレーを食べると顔が変わっていき、ラモス瑠偉になるというもの。そしてラモスは立ち上がり、母親に「おかわり」と言う。
少年にヒゲが生えてきて顔がだんだん濃くなっていくという演出のインパクトはすさまじく、CMの知名度は抜群となった。ただ、私の周囲でJリーグカレーを食べた者は一人もいなかったし、今やこの商品はない。
【ジーコはやっぱり凄かった……】
1982年W杯、「黄金のカルテット」の中心だったジーコは鹿島アントラーズ(前身は住友金属)に入団。ピークは過ぎており、年齢は開幕の時点で40歳。さすがに無理でしょう……と思ったものの、なんと開幕でハットトリックをあげる!
やっぱジーコはすげー! となったほか、鹿島のアルシンドとサントスと組むブラジルトリオも圧倒的な実力を見せ、鹿島の強さはJリーグ初年度のサプライズとなったのだ。以後、アントラーズは名門であり続けている。
【Jリーグ大ブームに・森本毅郎激怒事件】
こうしてメディアが連日のようにJリーグを取り上げていたのだが、暫くするとこの雰囲気に飽き飽きするようになる者も登場する。当時、TBSラジオ『森本毅郎スタンバイ!』でも連日のように取り上げられていた。
Jリーグに関するコーナーが始まると「オーレ、オレオレオレ!」の歌が流れるのが定番だったが、ある日、森本がブチ切れた!
「またコレかよ! もういいよ!」
世の中がJリーグに沸く中、サッカーに特に興味がなかった当時54歳だった森本にはサッカーブームについていけなかったのだろう。当時、サッカーが嫌いなオッサンは基本は野球が好きだったのだと思う。「なんで手を使えないんだよ!」などとサッカーのつまらなさを殊更に的外れな形で主張していた。
私は森本は色々なことに寛容で新しもの好きだと思っていたのだが、この時はまさに「海外スポーツに対しては『どうせ遠い国の話でしょ』『なんで日本と関係ないものを取り上げるの!』と突き放す張本勲」状態だったのだ。以後、彼をテレビで見る度にこの時の「Jリーグに切れる森本」を思い出してしまう。
ここまで書いてきたが、Jリーグ初期の頃のエピソードっていっぱいあるな! ここで最後、かなりワープするが、冒頭で述べた「ジョホールバルの歓喜」に関する珍エピソードを振り返ろう。
参考記事:平成時代の青年たちを熱中させたスーパーファミコン『スーパーフォーメーションサッカー』|中川淳一郎 | TABLO