懐かしの平成サッカーエピソード、いくつ覚えていますか 「Jリーグ初のゴール」「Jリーグカレー」「森本毅郎、Jリーグ激怒?」|中川淳一郎

写真はイメージです。

今ではサッカー日本代表がワールドカップに出場するのは当たり前のことになったが、平成の初期、それは夢のような話だった。1993年、Jリーグが発足し、「今回こそ行けるぞ!」というムードが高まった。だが、「ドーハの悲劇」により1994年・アメリカW杯出場が断たれ、世界の壁の高さを痛感したからこそ1997年、マレーシアのジョホールバルでイランとのアジア第三代表決定戦での岡野雅行のゴールに我々は歓喜したのだ。

W杯本番では惨敗したものの、この代表以降登場した中田英寿や小野伸二らの台頭により日本のレベルは格段に上がった。それでは1993年から1998年までの日本サッカーで印象的だったことをいくつか振り返ってみよう。

【Jリーグのゴール第一号が渋すぎる件】

ついに日本にもプロサッカーリーグが1993年に誕生。開幕戦、国立競技場のライトが落とされ、Jリーグのアンセムに合わせてサッカーボールのキャラクターが登場した瞬間、新しい歴史が始まった! 開幕戦は、当時の2大クラブであるヴェルディ川崎と横浜マリノス(当時)だった。

この記念すべき試合でJリーグ史上初ゴールを挙げたのがオランダからやってきたFW・ヘニー・マイヤーだったというのが味わい深い。三浦知良でもなければラモス瑠偉でもなく、ラモン・ディアスでもなく、マイヤーという伏兵である! 大いに盛り上がったものの「あいつ、誰だ?」と多くの人が思ったのではなかろうか。しかし、このゴールによりマイヤーは歴史に名を残したのだった。

【Jリーグカレー登場】

かくしてJリーグは大盛り上がりのスタートを見せたが、これに合わせてなんでもかんでも「J」をつけることになった。国産牛のことを「Jビーフ」と呼ぶようになったのもこの頃の話だ。

関連記事:テレビを筆頭としたコロナ禍を煽るメディアの「インフォデミック」 日韓ワールドカップを振り返ってみれば見えてくる|中川淳一郎 | TABLO