「訴えたもの勝ち」になり週刊誌は冬の時代へ 宝島社からの提訴に脱力した日々|久田将義
内容証明書は顧問弁護士からです。早速、当時在籍していた顧問弁護士にアポを取り相談です。それから宝島社の顧問弁護士に、自ら電話をかけました。
どの程度の怒りか、話し合いですむのか、裁判まで持っていく気なのか知りたかったのです。裁判は時間もくうし面倒なので、本音を言えば避けたかったですね。言論を生業とする出版社同士、誌面での論争ならこちらとしてはやりたかった訳です。
が、宝島社の弁護士はそれこそとりつく島がありませんでした。反論を掲載する準備があることを伝えたのですが、一笑にふされてしまいます。今から思うと、はなから裁判を前提とした内容証明書だったわけですね。僕が甘かったです。
当該記事は宝島社の内部告発で、それだけに真実性に対しては自信を持っていたし、公益性に関してもサブカルチャー・ファッション誌を多数発売しているような社会的にも大きな影響力を持つ会社の内部を報道することに、何のためらいもなかったのですが、書かれた方は当然頭に来るでしょう。
ましてや相手は名うての「武闘派社長」蓮見清一氏です。当時の石原都知事にさえ、提訴するくらいの人です。それはそれで、凄いなと感心してしまいますよね。
その後、再び内容証明書が来ました。
内容は当時、僕が編集長を務めていた「『ダークサイドJAPAN』の記事のせいで就職希望者が減った。その責任も取れ」というものです。