「訴えたもの勝ち」になり週刊誌は冬の時代へ 宝島社からの提訴に脱力した日々|久田将義

裁判官から「これからは訴えた者勝ちにしますからね」

第一回公判後、裁判官から連絡があり、第二公判の前に両者を呼んで、話し合いを持ってもらいたいと言います。

約束の期日、東京地方裁判所の某階の狭い一室で僕は宝島社の総務担当と弁護士と至近距離で向かい合い、裁判長を上席に仰いで話し合いました。僕は言い分を誌面に書き、この記事が名誉毀損に該当するか、否かを論じることを試みましたが、裁判官は全く無視。

言うセリフがふるっていました。全く文面を見ようともせず、とにかく結論を急ぎたいらしいです

「こんな書面はどうでもいいから」

途中で僕の言葉をさえぎり、言い放ちます。

「ミリオン出版としては宝島の記事を書いて、雑誌の売り上げに貢献したのだろう。だからその一部を還元するということで和解してもらいたい。そもそも私は週刊新潮の裁判を受け持っているが、全部敗訴にしているからね」

これにはビックリしました。その後ろでは司法修生らしき若者五人くらいがいたのですが、そのうちの一人は居眠りをしています。僕は脱力しました。

その頃はとにかく、2000年頃の風潮として「訴えたもの勝ち」が裁判の流れになっていました。