「訴えたもの勝ち」になり週刊誌は冬の時代へ 宝島社からの提訴に脱力した日々|久田将義

「せっかく訴えたのだから、その手間の分だけ、和解という形でお詫びさせよう」というコンセンサスができていたのではないかと思われます。事実、僕は、司法関係者からそういう話を取材で聞いています。

当時は軒並み、週刊誌の敗訴が相次いでいました。「週刊誌・冬のシーズン」突入の時代でのありました。

僕はその場で社長に電話をして和解金、謝罪文の内容(級数、行間なども指定される)を説明しました。「君の判断に任せるよ」といわれたので条件を飲むことにしたのです(それ以来、何かあると「君の判断にお任せします」と社長に言われている気がします)。それで、この件は終わったかのように見えたのですが、そう簡単に問題はすみませんでした。

これは僕の経験不足でもあり若気の至りでもあるのですが、裁判官の態度といい、どうしてもすんなり「お詫び文」を載せることに抵抗があったのです。

そこでお詫び文を掲載したすぐ隣のコラムで「この記事には自信を持っていたが和解した」というような意味の文面を載せました。それを見た宝島社はすぐ反撃に出ます。

再び提訴です。