世界的に消えることはない宗教による対立。特に顕著なのは、イスラム教とキリスト教によるものだろう。今も爆弾テロなどが絶えることはなく、日々どこかで人々が命を落としている。そんな様子を日本人はかつて、対岸の火事のように眺めていたわけだが、他人事ではないと思い知らされたのがこの事件である。
イスラム教徒を侮辱したとされる小説「悪魔の詩」日本語版の翻訳者で、筑波大学助教授五十嵐一さん(当時44歳)が殺害されたのは1991年7月11日夜、人気のない夏休みのキャンパスだった。
五十嵐助教授が殺害されるきっかけとなった「悪魔の詩」は、1988年インド系イギリス人のサルマン・ラシュディー氏によって書かれた。発売直後から預言者ムハマンドやイスラム教徒を揶揄する記述に対して、イスラム教徒による焚書運動や抗議が殺到し、刊行の翌年には当時のイランの最高指導者ホメイニ師によって、「悪魔の詩」の著者や関わった人物に死刑宣告が出されるに至った。イスラム教徒の怒りは沸点に達していた。
歴史的にも血腥い宗教対立を幾度なく経験してきたヨーロッパ。イギリス警察は事態を深刻に受け止めラシュディー氏を24時間体制で厳重に警護するだけでなく、転居を繰り返させた。
片や日本の警察は積極的に動くことはなかったが、日本語版の翻訳者五十嵐助教授の元には、脅迫の電話や手紙が届くようになっていた。そうした事態にも教授は意に介しているような素振りは見せなかったという。
頸動脈を切り裂いた
事件発生の前日には、中東系の男二人が、五十嵐助教授の研究室のある人文・社会系棟七階を歩き回っている姿が目撃されている。
そして事件当日、五十嵐助教授は午後9時以降に殺害されたことが、胃の内容物による状況によって明らかになっているが、普段五十嵐助教授は午後9時以降に仕事をすることはほとんどなく、8時には大学を後にしていた。
さらには2キロ離れた宿舎には、学生が運転する車か、タクシーを利用していたというが、事件当日は、タクシーを呼んでおらず、迎えに行く予定の学生もおらず、普段の状況とは違った行動を取っていたことが、明らかとなっている。
犯人は五十嵐助教授を背後から切りつけ、胸や腹部三ヶ所を刺したのち、最後に刃を首筋に当て頸動脈を切り裂いている。頸動脈から血を抜く切り方は、イスラム教徒が羊を殺すやり方そのもので、殺害方法からも、イスラム教徒による犯行を匂わせている。無宗教の国とも言われる日本で起きた、宗教にまつわる犯罪であった。
果たして、犯人はどこに消えたのか。死刑宣告を出したイランが関与しているのか。
ちなみに事件発生当時、日本とイランはビザ相互免除協定を結んでいて、イラン人はビザ無しで入国できる状態であった。1991年は、約4万7千人のイラン人が入国している。その後イラン人の不法滞在が社会問題となったこともあり、ビザ相互免除協定は1992年に廃止となった。事件発生年の入国者が過去最高であった。
事件は2006年7月に公訴時効が成立しているが、海外に逃亡していた場合は、刑が適用される。(写真・文◎八木澤高明)
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