国を離れたくましく生きる"モンゴル女性"たちを信州の奥地で見た《ニッポンの辺境地レポート》

2018年02月16日 

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mongol002.JPGとある「連れ出しスナックの町」での取材風景

mongol001.JPG実は「町の情報所」というパターンが多い射的場


信州のとある温泉地で夜の町を取材していたときのこと。"射的屋"のお婆さんが耳寄りな情報を教えてくれました。

「最近はモンゴル人も増えてるんだよ。けっこうきれいな子もいるから、あそこのスナックに行ってごらん」

それを聞いて、(えっ、ほんと?)と意外に思いました。というのは、当地は「連れ出しスナックの町」として有名なのですが、働いている女の子は主に韓国人とタイ人だからです。100軒ほどあるスナックの大半は韓国スナックとタイスナックで、日本人すら少数派。ましてやモンゴル人なんて、唐突過ぎてまるでピンと来ません。

でも、お婆さんの言ったことは本当でした。教えてもらったスナックにはホステスが9人いて、そのうち5人がモンゴル人だったのです。

私についた子はウランバートル出身のミンさん(25歳)。半年前に日本に来たそうで、日本語はカタコト程度。聞けば、日本の大学に留学したものの、物価が高くて生活費が足りないため、週末だけこの店でバイトしているそう。

ミンさんはこの仕事に慣れていないのか、表情は硬く、しばらく経っても口数は少ないままでした。
そこで、「モンゴル人は相撲つよいね」とモンゴルの話題をふってみました。すると、それまでおとなしかった彼女は一転、パッと明るい表情になり、スマホを取り出して1枚の写真を見せてきました。

写っていたのは、白鵬とミンさんのツーショット。

同じ町の出身だそうで、彼が故郷に戻ったときに一緒に撮ってもらったそうです。
「白鵬はモンゴルのヒーローです。モンゴル人は皆、彼のことが大好き」と嬉しそうに語るミンさん。郷里の英雄を心から誇りに思っているようでした。

相撲の話題をきっかけにようやく盛り上がってきたと思ったら、ママの指示で女の子チェンジ。

次に横についたのは、茶髪に厚化粧、胸元むっちりのグラマー系。彼女もウランバートル出身のモンゴル人で、名前はアイラさん(32歳)。ミンさんとは打って変わってオープンな女性でした。手を握ったり、体を密着してきたりと積極的です。

mongol003.JPG女性たちはこういった薄着姿で出迎えてくれる


「日本に来たのは5年前。それまではストリッパーとしてアメリカやヨーロッパ、東南アジアを周ってたの。今は六本木の外人パブで働いてるんだけど、たまにこの町に出稼ぎに来るのよ」

私は意表を突かれ、唖然としてしまいました。山間の温泉地のスナックでモンゴル人の元ストリッパーに出会うなんて、いったい誰が想像できましょう。

モンゴルといえば大草原と遊牧民ぐらいしか思い浮かばない私にとって、アイラさんのようなモンゴル女性が存在することは驚きでした。

彼女に日本に来た理由を尋ねると、「お金のため!」ときっぱり。

「モンゴルは発展してきたけど、まだ貧しい国なのよ。だから外国に出稼ぎに行く人がたくさん。みんなが一番行きたがる国が日本なの。日本はたくさんお金が稼げるイメージがあるからね」

もはや「経済が一流」とはいえない日本ですが、アジアの途上国から見ればまだまだ黄金のジパングのようです。

「あなた、遊びはどうする? ココがどういうところか知ってるでしょ?」

会話ばかりの私にしびれを切らしたのか、アイラさんはじわじわとプッシュしてきました。けれども、私はすでに別の店のタイ娘と「遊び」を済ませていたので、ここでは飲むだけ。
いちおう遊びの値段を尋ねると、「ショート2万5千円、泊まり3万5千円」とのこと。これに飲み代5千円、ホテル代5千円を加えた金額が当地の遊び代になります。

「こんどは遊ぼうね」と笑顔で見送ってくれたアイラさんに別れを告げて、モンゴルパブを後にしました。

帰り際、報告がてら射的屋に立ち寄ると、お婆さんから、「飲んだだけ? ダメねぇ。モンゴル人と遊ぶチャンスなんて滅多にないのに!」と叱られてしまいました。

言われてみれば確かに、滅多にないチャンスでした。次回こそモンゴルナイトにしたいと思います。


取材・文◎霧山ノボル

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