都心から西へ3時間あまり。秋川渓谷の大岳鍾乳洞を訪れた。管理小屋には小さな老婆が座っていた。腰は曲がってないし、受け答えもしゃんとしている。とはいえかなりの年だ。いったい何歳だろうか。試しに聞いてみると、戸惑いもせず老婆は答えた。
「数えで百歳です」
田中ユキさん。大正4年の1915年生まれ。1カ月前の4月が誕生日だったというから実年齢は99歳。雨の日も風の日も毎日、ここに来て客を迎えているのだという。
森に飲み込まれてしまいそうな寂しい山の中。100歳近い老婆がなぜこんなところで鍾乳洞の管理をしているのだろう。
「戦争が終わった後です。疎開しに来てた人たちが都会へ戻っていきました。戦後、鍾乳洞の下にある集落で百姓をして暮らしていたんですが、たしか昭和36年でしたかね、主人がこんなことを言ったんです。『そろそろ山を掃除しようか』と。それで実際に主人がこのあたりを掃除して歩いたところ、地面にぽっかり穴が空いてるのを偶然見つけたんです。その後、3年かかって整備して、お客さんにみてもらえるようにしました」
当時、世の中は高度成長期の真っただ中。鍾乳洞までの道が舗装されると、観光ブームにより見物客がたくさん訪れるようになった。女性は10人の子どもを産み育てながら、発見者であるご主人と二人三脚で鍾乳洞を守り続けてきた、ということなのだ。
鍾乳洞の中に入ると、裸電球があちこちで点灯した。するとご主人が書いた手書きの案内板が多数、暗闇の中に浮かび上がった。名前がつけられた鍾乳石、その回りに張り巡らした柵、方向を示す矢印。少々お節介すぎる気もしたが、ご主人の親切心もまた伝わってきた。ここでふと疑問に思ったことがある。鍾乳洞を見つけ、洞内を管理した張本人であるご主人はどこにいるのだろうか、ということだ。
「主人は明治の生まれで、私の12歳上。12年前に97歳で亡くなったんです」
ご主人がいなくなってからも、ユキさんは子供たち一家に支えられながら、ご主人が心血を注いで管理してきた鍾乳洞を大事に守ってきた。しかし、その行為には数々の困難がつきまとった。
「以前はここ(管理小屋)に住んだこともあったんですが、泥棒が相次いだのでやめました。今までに9回盗みに入られました。今年は大雪で管理小屋が崩壊、道路もなかなか開通しなかったので、春になるまで閉鎖していました」
苦労の絶えないユキさんだが、これからもご主人の形見とも言えるこの鍾乳洞を守っていこうという決意は固い。
「ここ(頭)が大丈夫なうちはやり続けます」
ユキさんはおだやかな笑みを浮かべながら断言した。
Written Photo by 西牟田靖
※大岳鍾乳洞(東京都あきるの市養沢1587)
電話:042-596-4201/2326
営業:午前7時すぎ~午後5時半ごろ
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