私たちは、様々な「縁」のなかで生きています。会社・家族・恋人・友人など、その「縁」に救われることも多くありますが、ギスギスした現代、誰にでも「切りたい縁」もあるのではないでしょうか。
そんな「縁切り」を願う人のための場所があります。家族連れであかるく賑やかな、板橋本町商店街の中にある榎大六天神という神社で、小さな祠ですが日本書紀にも登場するアヤカシコネノカミという御祭神がまつられています。
縁切りの効験があるとされるのは、この神様ではなく小さな敷地にたつ大きな榎の木。
かつてはここに槻(ツキ)の古木も並んで立っており、榎(エン)と槻(ツキ)で「縁が尽きる」とされた、民間信仰からきているようです。
単なるダジャレと侮ってはいけません。この縁切り榎の前を嫁入り行列で通った女性の結婚が、うまくいかなかったという話は多く、迂回路まで作られたほど縁切りの効験は強いのです。
そんな縁切り榎には、あふれんばかりの絵馬が奉納され、その多くに強烈なまでの縁切りの祈りが記されているのです。
文字からも怒りと恨みがにじみ出ています。会社名や個人の実名までが克明にしるされていることで、生々しさに満ちています。
不倫の逢瀬の成れの果てでしょうか。最初は叶わぬことと知っていながら、いつの間にかハマってしまったドロ沼。手に入れたとて、幸せになれるとは思えないほどの嫉妬の炎が燃え盛っています。
実は「縁切り榎」というものは、やめられない酒やギャンブルなどとの悪縁を断つ、ひいてはそうした悪縁から距離を置けない「弱い自分との縁を切る」という願掛けをしにくる方も多い場所です。
しかし、きちんと自分と向き合おうとしている健気な願いも、自分と他人を貶めるような悪態にも似た願いにかき消えていて、なんだか現代の社会をそのまま写しているようにさえ見えてきます。
実名ばかりか小学校の名前まで書かれています。さらに画鋲を突き刺してその恨みを込めています。この学校に通う子どもたちの目に触れないことを願うばかりです。
Twitterやネットへの罵詈雑言などは、自宅でベットに寝転んで指先一つで手軽にかけるため、そのウラにある怒りや恨みは大したことでないものがほとんどです。
一方で、ここに並ぶ絵馬により強い恨みを感じるのは、都心部からも離れたこの場所までわざわざやって来て、お金を払って絵馬を購入して書いているという事実。
とてつもない恨みの衝動がなければ出せないエネルギーが、ここには渦巻いているのです。
しかし日本人は元来、エネルギーは負にも正にも転換できると考えていました。
たとえば「祈る」と「呪う」という、真逆にも見える二つの言葉は「宣る(のる)」という、ひとつの言葉から発生しているとも言われています。
そう考えると、この縁切り榎に渦巻く負のエネルギーも、アヤカシコネノカミが無化したり正のエネルギーに変換してくれるのかもしれません。
神様のまえで唱える「祝詞(のりと)」も、「祈る」や「呪う」と同根の言葉であることは、もうお気付きの通りです。(連載・Mr.tsubaking 『どうした!? ウォーカー』第十回)
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