香港はデモで“新疆ウイグル自治区化”する? 若者たちの異様な「デジタル断ち」とは|西牟田靖

香港市民が立ち上がる理由

以下、詳しく見ていこう。

1997年7月に香港が中国に返還された際、「50年間は資本主義と生活洋式を変えない」という一国二制度が認められた。つまり、2047年まで香港は、中国本土とは違う、西側の体制が維持されることが確約されていたのだ。

しかし自由は確実に、真綿で首を絞めるようにして、着々となくなってきている。議会は親中国派しかトップに立てないように議会を握られていて、共産党のコントロール下に置かれるようになっている。しかもだ。実際、香港では近年、複数の書店関係者などが拘束され、一旦、行方不明になった後、本土で刑事罰を受けるといったことが相次いでいる。

中国では発禁の政論誌

「逃亡犯条例」が改正されれば、こうしたことがこっそりとではなく、おおっぴらに出来るようになる可能性が高い。そうすれば、デモの自由や言論の自由は死に絶えてしまう。そうならないために彼らは立ち上がっているのだ。