覚えているだろうか「女子大生ブーム」を 私が完全に乗り遅れた原因は“西武線のせい”だ|中川淳一郎
『あすなろ白書』? 知らねえよ!
一応、津田塾大学が近いため、女子大とのインカレサークル的なものは多数あったし、当時の俗説として「津田塾生の3分の1は一橋男と付き合う」といった話はあった。だが、同大学の数学科の学生から期末試験の数学を教えてもらうなどした私と周囲の男どもは「負けた…」なんてことも思い、彼女たちに劣等感を抱き、恋愛に発展することはなかった。あちらも「このイモつ橋のバカめ!」と恋愛対象から外したと思われる。
こうした事態になると、もう大学では恋愛をすることは諦めるようになるし、ひたすら自転車で三多摩地区を快走するだけのキャンパスライフとなる。そして、男だけの飲み会では、「なんだよ、大学入ったらモテるようになるって誰が言っていたんだよ。ウソじゃねーかよ。クソ」「そうだそうだ。なんだよ、最近立教大学が舞台の『あすなろ白書』ってドラマやってるけど、あんなもん、オレらと関係ねーじゃねぇかよ!」とモテないことを愚痴り続けるのである。この『あすなろ白書』こそ、木村拓哉の出世作である。
かくして他大学との接点をすることもなければ、女性と会うこともない我々は、東京の中心部で発生しているバブル期の残滓が若干残っていたころの「都会のトレンディー学生生活」なんてものは経験せず、激安居酒屋の「一休」の国立店か国分寺店でサンマの塩焼きを90円で食べる無為な日々を過ごすのであった。そして「吉祥寺よりも東は怖い」といった感覚を持ち、ますます都心の学生とは異なる異空間の生活を送るのである。
嗚呼、オレらは就活も厳しかったし、モテなかったし一体なんだったんだよ、ケッ! こんなやさぐれた気持ちを当時の我々多摩県民の学生は思っていたのである(って、オレの周辺だけか。失礼!)。(文◎中川淳一郎 連載『俺の平成史』)