覚えているだろうか「女子大生ブーム」を 私が完全に乗り遅れた原因は“西武線のせい”だ|中川淳一郎

一ツ橋大学があった西武多摩湖線て知っていますか

だが私が入学した1993年、バブルはすでに崩壊しており、通った東京・小平市の一橋大学は「男7:女1」というすさまじき男女比の偏りのある大学だった。入学式の段階で「あっ、こりゃオレモテねぇ」ということはもう分かった。しかも、トレンディーの総本山たる六本木までは1時間45分はかかる。当時は大江戸線もなかったため、以下のルートで行くしかなかったのである。

一橋学園(西武多摩湖線)→国分寺(JR中央線)→新宿→恵比寿(JR山手線)→六本木(営団地下鉄日比谷線)

ここで厄介なのが、西武多摩湖線は単線で、ラッシュアワー以外は15分に1回しか電車が来なかったことである。電車を逃したら「あぁ、もう六本木なんて行くの面倒くせぇ。駅前の『村さ来』で飲むか、『一松』で白菜鍋でも食うか」みたいな気持ちになってしまった。

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