200人を超える報道陣の前でオウム真理教幹部・村井秀夫を刺殺した徐裕行氏と会って|インタビュー

人を殺すか、殺さないかは、紙一重

徐はまた、インタビュー中でこんなことも述べている。

マスコミがあれ程までにオウムがやったんだという”絶対悪”としての大量の報道をしていなかったら? というのも一つの要因でしょう。例えばそういう報道が流れ、巷では酒を飲みながらTVを見ながら「あいつら許せんな」「死んでしまえばいい」と……当然、僕もそういう会話をしたし聞いたりしましたよ。そこで行動するしないというのは、本当に紙一重。なんらかのキッカケがあれば、誰でもそういうことになりうる。世の中の人たちがそうなりうる事件だったと思います。

村井が運ばれた病院前にて、激昂した上祐が言い放った言葉と、奇しくも似た内容を語っているではないか。さすがに現在の二人とも、村井刺殺事件の責任を「マスコミにある」と転嫁したい訳ではないだろう。しかしこれは双方が真逆の立場ながらも、自分たちはマスコミという現体制に対抗する「反体制」なのだという心情吐露であるように、私には感じられた。

徐裕行がオウム幹部・村井秀夫を刺し殺したあの事件は、表舞台で繰り広げられる政党の左右対立とは全く別の地点で起きた、「右」vs「左」の結節点だったのである。

村井の刺殺現場であるオウム東京総本部ビル。その建物は最近までずっと、南青山七丁目の交差点に忘れられたように佇んでいた。私は週に一度は目の前の通りを歩いていたので、視界の端に入るビルの様子をいつも気にかけていたものだった。入居しているテナントも存在していたが、ビル内には人の気配が感じられず、がらんとした空虚なハリボテが道沿いに置かれているようだった。正面のガラス窓にはいつも「テナント募集中」「FOR RENT」といった広告が何枚も張り出され続けており、罪のないビルオーナーには申し訳ないが、もはや何かの冗談のようにしか感じられなかった。そして事件からちょうど20年が経った2015年4月、そのビルは取り壊された。敷地は今のところ、歯抜けのような空き地となったままである。

この記事を書くにあたって、私は5年ぶりに徐裕行のブログにアクセスした。するとそこに、一つの奇妙な偶然が待ちかまえていた。徐のブログもまた、2015年4月の記事からずっと更新が途絶えていたのだ。私のインタビューの最後にも、ブログから拉致問題解決の署名を訴えていたほど精力的に活動していたのだが……。彼が刃を手にして村井に向かっていったビルが解体されたのと全く同じタイミングで、そのブログもまた終わっていたのである。(敬称略 取材・文◎吉田悠軌 『BLACKザ・タブーVOL.6』より加筆・修正)