200人を超える報道陣の前でオウム真理教幹部・村井秀夫を刺殺した徐裕行氏と会って|インタビュー

 

第一印象として感じたのは「穏やかさ」「物腰の低さ」

2012年の夏、私は徐裕行のブログをまとめて読んでいった。メインで書かれているのは、北朝鮮拉致問題への解決を訴える文章だ。徐本人も言及しているように、これには在日朝鮮人3世であり、総連系(北朝鮮系)の朝鮮学校に通っていた出自も関係している。その他には、趣味のヨットレースや、時事ニュースへの意見、日々の雑記といったような記事も散見された。いずれにせよ、事情を知らない人間が読んだなら、このアメーバブログ管理人が村井刺殺事件の犯人であり、12年の懲役から戻ってきた人物だとは気付かないだろう。私は全記事に一通り目を通した後、ブログのメッセージ欄を開き、インタビューを依頼する旨の文章を書き連ねていった。

その半年前の2011年大晦日、オウム事件実行犯の一人である平田信が、丸の内警察署に出頭していた。続いて翌年6月、最後の逃亡犯である高橋克也が大田区にて逮捕。オウム事件全体における一つの区切りがついたタイミングだったとも考えられる。私はその前後で、BLACKザ・タブー誌面にて、新団体「ひかりの輪」代表となっていた上祐史浩への雑誌インタビューを担当した。さらに元オウムとは別の人間にも話を聞こうということで、徐裕行の名前が挙がったという次第である。

彼へのコンタクトは、ブログを経由する以外に連絡手段がなかった。アメブロのポップなメッセージ欄には不釣り合いな堅苦しい依頼文を送る。しばらくして、徐から一言「結構ですよ」との答えが返ってきた。幾つかのやりとりの後、喫茶店の会議室にてインタビューを行うこととなった。当日訪れた会議室は、やけに薄暗く古ぼけており、長年にわたって染み着いた煙草の臭いが空気をべたつかせていた。そして約束の時間となり、徐裕行を迎えにゆく。

彼に会った際、第一印象として感じたのは「穏やかさ」「物腰の低さ」だった。ただしそれは大人しい文化系の若者と同じような雰囲気ではない。例えるなら剣道の試合のごとく、しっかり相手との間合いをとっているような意識が察せられた。悪印象を受けた訳ではないが、緊張で自分の胸がキュッと縮むのが分かった。久田将義氏は著書『生身の暴力論』で「殺人者が自身の殺人行為を語る時、眠そうな目をすることが多い」といった旨を記している。しかし私が徐の瞳に見たのは、あくまで「冷静」な眼差しだった。