200人を超える報道陣の前でオウム真理教幹部・村井秀夫を刺殺した徐裕行氏と会って|インタビュー

徐自身が”ある種”の心情をわざわざ吐露した

徐へのインタビューではやはり、オウム事件、北朝鮮拉致事件についての見解を聞くこととなった。後者について徐は、北朝鮮政府はもとより、周囲の在日朝鮮人についても、その問題意識の低さに批判的な意見を述べていた。彼は青年期には総連系の活動も行っていたが、「ちょっとおかしいなという気持ち」から離脱。以降はむしろ右派寄りの活動を行っていったようだ。彼の思想の変遷について、取材不足の私には断定できる材料はない。ただし政治的立場はともかく、彼の心情は「身内」と「外部」を分けるタイプであるのは間違いないように思える。

インタビューにおける主眼は言うまでもなく、村井刺殺についての動機を語ってもらうところにあった。徐は「今になって言葉に表せというのは非常に難しい」「皆さんにも分からないかと思う」としつつ、その理由を「許せないから」との言葉にまとめた。

「僕は家族愛というか、両親や兄弟親族への愛情が強い方なんです。家族関係のように愛情で結ばれている人たちが、第三者の犯罪行為によって強制的に離間させられることに対して強い憤りがあるんです。拉致事件でも同じことが言えますが、家族を無理やり引き離すようなことが許せない。そういうことに対する怒りは、サリン事件の時は非常に強かったですね」

一時期、村井刺殺事件はオウム教団内部による差し金ではないか、との話が飛び交った。科学技術省大臣としてサリン事件の秘密を握る村井の口封じをはかったのでは、という言説だ。もちろんこれについては、徐裕行とオウムの双方が否定。一斉逮捕後、オウムを離れた上祐も「そういった事実はない」との立場をとっている。裁判でも立証されなかったし、徐と上祐の双方から話を聞いた私個人としても、さすがに考えすぎの陰謀論だろうとは思う。

もちろん本稿は事の真相を追うのが趣旨ではないので、その是非については置いておこう。また、徐裕行が初対面の私に胸襟を開き、自身の精神をあますところなく開示してくれたとも思えない。ただいずれにせよ、徐自身が上記の通り「身内」と「外部」を分ける心情をわざわざ吐露していることには注目したい。この心性は「左翼」よりも「右翼」寄りのタイプであることは間違いないだろう。

オウムにまつわる議論について、あの教団が「右翼か左翼か」を問う行為はあまり為されていないように見受けられる。それよりもまずオカルティックな秘密宗教団体の側面が先行するからだろう。とはいえ、いちおうオカルト研究を業とする私から言えば、オカルトという思想の中にも矛盾せず存在する別レイヤーとして「右翼」「左翼」の傾向は確かにある。80~90年代の一部の若者に訴求されたオウム真理教は、ニューエイジ、欧米経由で「再発見」されたヨガと原始仏教を宗教的出発点としており、思想としては左寄りだったと言えるだろう。

非常に乱暴な括りとなってしまうが、人間関係の好みだけを注目すると、右翼は「身内」と「外部」を分け、左翼は「ワン・ワールド」にまとめたがる。そしてオウム幹部たちの理屈に立脚すれば、サリン事件含め人類全体の魂上昇を試みる「ポア」とは、根本的には20世紀共産主義の「世界革命」の発想と似通っている。徐がオウムに対して殺意へ至るまでの「許せなさ」を抱いたのは、双方の根本的な精神性に相容れなさを覚えたせいもあっただろう。