中国政界の大物、薄煕来が無期懲役のうえ公民権剥奪の判決を受けたというニュースは、日本でも多くのメディアで報じられた。じつはこれ以前、薄煕来は裁判の本筋とは少し違うところで話題になっていた。発端は、法廷などでの彼を映し出した写真だ。白いシャツ姿の薄は決まって、法廷警察官の制服に身を固めた背の高い二人の男に挟まれていて小さく見えるのだ。
だが、実際のところ薄の身長は186センチ。小男どころか立派な大男である。その薄を小男に見せるために、わざわざ元バスケ選手の大男がキャスティングされた。中国内には薄を支持する一般庶民はまだまだ多く、現政権の頭痛の種になっている。つまり、少しでも薄の情けない姿を大衆に晒したいという意図がそこには映し出されていたのだ。
中国では、こうした「イメージ」を非常に大切にする。わかりやすく言えば、偉い人は美しく立派そうに見えなくてはいけないし、悪人はいかにも悪く、情けなく見えなくてはいけないということだ。そうした考え方が浸透している中国から見ると、たとえば日本の総理大臣が白髪頭だったりするのはかなり不思議に見えるらしい。「なぜ染めないんだ?」と(最近で白髪頭といえば小泉元首相までさかのぼる)。
そしてこの「イメージ第一主義」は何も政治家だけに求められるものではない。つい最近まで中国では、教師の採用基準に「身長」という項目があるのがごく一般的だった。地方によって求められる数字にいくらか違いはあったが、その数字をクリアしていなければ採用試験や昇進試験を受験することすら認めてもらえないという状況が本当にあったのだ。
たとえば2008年、江西省のある女性教師はすでに持っていた小中学校での教職免許に加え、高校での教職資格を取得しようと考えた。ところが、その資格試験中に受けた身体検査の結果、「身長が足りないから不合格」になってしまう。彼女の身長は145センチ。江西省の教師資格の体格基準では「身長が男性は160センチ、女性は150センチ以下の場合には不合格とみなす」と規定されていたからだ。
2011年3月、安徽省のある医学校では、修士号取得者を対象に教師の採用試験が行われた。試験会場のそばでは試験官が受験者の身長を測定し、男性は170センチ、女性なら160センチに達していなければ、その場で試験への参加を禁止する旨が言い渡されている。
こうした身長基準は、かつてはなかったものだ。中国のネット世界でそれを証明する例としてよく持ち出されるのが魯迅だ。小説家として有名で各地で教鞭もとった魯迅の身長は当時、160センチに達していなかったという。
採用基準の詳細は、各地方政府が独自に定めている。そのため、毎年のようにこうした問題が起こり騒動になっても、翌年にはまた別の地方で問題が起こるという繰り返しだ。それでも、07年には四川省などが教師の採用基準から身長規定を削除し、江西省でも上記の問題が発生した後、身長規定の削除を決めた。大都市ではとっくに「身長で判断するなんてナンセンス」という空気が定着している。
それでも冒頭の薄煕来の一件のように、中国で「イメージ」が重視されるのはいまも変わりはない。じつは大学入試の時点で早々と身長で学生をふるいにかける学科がいくつかある。それは、軍事系の学校、公安の学校、航空系の学校、それに国際関係系の学校、外交学院など。軍事や公安、航空系は体力的な理由もあるのでいくらか理解できなくもないが、国際関係や外交関連で身長制限を設けるのはナンセンス。百パーセント「見た目」のためだと思って間違いない。国の代表として外国人と向き合うような人材は、「イメージ」が良くなければならないというわけだ。中国ではまだまだ「大きいことはいいこと」なのである。
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Written by 劉雲
Photo by lightbugs
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