反日・抗日の原点?中国・遺骨博物館で感じた中国共産党の思惑

2016年06月27日 中国 共産党 反日 遺骨博物館

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 ビザの緩和、免税処置、そして円安。そうした影響もあって、中国人の爆買いが今年、流行語となるほどの社会現象となった。これにより、政府が目指していた「2020年までに2000万人」という来日観光客数は達成される見込みなのだという。

 とはいえ中国国内での反日的・抗日的な主張は止まることがない。そうした主張は、中国各地にある博物館に垣間見ることが出来る。なかでも一番印象に残ったのが、以下に紹介する博物館であった。

◇◇◇

 凍てついているためか、広大な公園には人っ子一人歩いていなかった。静まりかえった中をしばらく歩くと、丘が見え、さらに歩くと地下へ降りる階段があらわれた。入り口には「平頂山殉難同胞遺骨館」と漢字で記されていて、何らかの展示をおこなっていることが理解できた。と同時に、遺骨館という聞いたことのない、恐ろしげな名前にしばし戦慄した。

 階段を降り、入り口をくぐる。すると目の前に、若くてかわいい小姐(若い女性)があらわれ、にこやかに切符の半券をちぎってくれた。入場すると、模型と花輪がおいてあるのが目に入った。模型は平和そうな集落の様子をあらわしているようだ。その一方、花輪は文字通り亡くなった者を弔うために置かれているようだ。あり得ない組み合わせに、一瞬首をかしげた。しかしすぐ後の展示によって、その模型がかつてこの場所に存在したこの村の様子を再現したものだということに気がつくことになる。

 奥の部屋は広く、そして陰惨だった。長さ80m、広さ5mにわたり、およそ800体にも及ぶ遺骨が河のように広がっていた。遺骨の大きさや方向、年齢はバラバラだった。ガソリンを入れていた一斗缶などもある。

 状況からすると、女子供、老人に身体障害者、弱い者、抵抗できない者などを無差別で殺し、火をつけたということだろうか。日本の軍勢が遺体の山に火をつけるというシーンがふっと脳裏に浮かんでくる。生き地獄のようなシーンが頭から離れなくなったことで、思わず息をのみ、立ち尽くし、ショックでしばらくモノが考えられなくなった。

 外に出てからパンフレットに目を通した。それによると、日本の軍隊に打撃を加えていた民衆抗日自衛隊がこの村を経由していたのを理由に1932年9月16日「日本侵略者」が約三千人を山のふもとに追い詰めて虐殺、ガソリンで屍体を焚き、砲で山を崩して証拠隠滅を図った、と書いてあった。つまり、平頂山村は日本の軍勢の手によって村ごと壊滅したということなのだ。歩いてきた公園の不自然な広さ、遺骨館という物々しいネーミング、集落の模型と花輪という組み合わせ。これらはすべて、日本の軍勢による虐殺に端を発している、ということなのだ。

 一方、パンフレットには次のようにも書いてあり、首をかしげた。

「前事不忘後事之師。平頂山惨案の跡地はもう人民に階級教育、民族教育、伝統教育と愛国主義教育をする重要な場所になった」

◇◇◇

 かつて毛沢東は「日本の侵略に感謝する」と外交の場で繰り返し、述べていた。

「何も謝ることはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしてくれた。日本の皇軍なしには、私たちが権力を奪取することは不可能だった」と、いう風に。

 中国共産党は抗日戦の中で大きくなり、ついには政権を奪取した。だからこそ、共産党の正当性を主張するために、反日・抗日が延々と利用され続ける、というわけだ。その目的のため、遺骨は今後もずっと、見世物として利用され続けるに違いない。

Written & Photo by 西牟田靖

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「反日」中国の文明史

中国共産党がある限り。

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