常岡浩介氏(撮影筆者)
拘束され解放されたり、ガサ入れされたり。これまで何度か、本サイトで記事にしてきた友人の常岡浩介。このたび彼に旅券返納命令が下り、今後、彼は出国を禁じられてしまうことになった。内戦が続いているイエメンを取材する予定で出国しようとしていた羽田空港の出国検査場で事実が判明したそうなのだ。
参考資料:友人のジャーナリスト常岡浩介がクルド自治政府の拘束を解かれた件
BuzzFeedNews(2019年2月4日付)の記事には次のように記してある。
【常岡さんによると、カタール経由でスーダン・ハルツームに向かおうとした2月2日、羽田空港で出国審査の自動化ゲートにパスポートをかざしたところ、「このパスポートは登録されていません」と表示され、ゲートが開かなかった。入管が外務省に問い合わせた結果、旅券返納命令が出ていることが分かったという。常岡さんは入管の職員がつないだ電話で、外務省の担当者から「旅券法13条第1項に基づいた旅券返納命令が出ている」と言われたという。】
同記事には、彼がイエメンの正規ビザを持ってること、1月14日にイエメンの隣国オマーンから陸路で入ろうとして入国を拒否されたことも記されていた。
海外を取材しようとしてとしていた報道関係者が旅券返納命令を下されたのは、2015年2月の杉本祐一さん以来のことだ。このときは、シリアを目指そうとしていた彼が事前に旅券返納命令を受け、渡航が阻止されたのだ。
今回の措置に対し、昨年10月に3年数ヶ月ぶりに解放された安田純平さんはツイッターで次のように語っている。
「出国させたくない人間を自由に出国禁止にできるという話なので、記者以外にも今後好きなようにやるようになる。自分は記者じゃないしとか自分は関係ないとか思っているとそのうち後悔することになる。」(https://twitter.com/YASUDAjumpei/status/1092517284487225349 )
この指摘に関しては私も大いに同意しているし、危機感も持っている。なぜなら、杉本さんの例にしろ常岡の例にしろ、日本国憲法に記されている「渡航の自由」や「言論の自由」を国がないがしろにしたことが確かだからだ。
二人の前例をきっかけに、今後、国が、一般国民に対し、自由な渡航の邪魔をしてくる可能性が今後どんどん拡大するんじゃないだろうか。正直怖い気がする。
参考資料:安田純平さん帰国について想うこと 「アメリカ政府がジャーナリズム原則論をコメントした意義」|青木理
ただしだ。常岡とは腐れ縁なのだが、今回の一件についてはひっかかるものがどうしてもあるので、以下の通り、記しておきたい。
彼は2014年10月に警視庁公安部外事三課から家宅捜査を受けパソコンや携帯電話など60数点を押収された。それ以後のことだと思うが彼はTwitterのアカウントを「常岡浩介容疑者」と記したり、挑発的なつぶやきをときおり記したりしている。
彼のつぶやきは、「私はシロだ。間違ってない」「表現の自由、渡航の自由はある」といった正当な主張とはかけ離れた悪ふざけとしか思えない。
日本にいる限り、別に何を言ったって、戦地のように理不尽に拘束されたり、殺されたりとかということはありえない。そうした安心感からホームグラウンドである日本では羽を伸ばして自由なことを勝手に言ったり、人に構ってもらいたいがために色々と露悪的な発言をしてきたりしたのだろう。
だが、それは危険すぎた。戦時中、この国は特高警察が跋扈して理不尽な理由で人々を逮捕し拷問してきたりしてきた。人間の本性なんてそんな簡単には変わらない。とすれば今回のような理不尽な行為というのも、オブラートにはかかっているがやられて当然だし、その備えがあってしかるべきだったのではないだろうか。
彼は、民主主義国家である日本という国の体制に甘え、限界を試すような挑発をやりすぎてしまった。その意味で彼はこの日本というこの国を信じすぎていた。こうした結果になってしまったことは大変悔しい。一方、常岡に対しては憤りすら感じる。つまらないことで墓穴を掘るなよ、本業を優先して口を慎めって言いたい。
彼のようなイレギュラーな人間のケースが悪影響を及ぼさないよう祈るばかりだ。一般人やその他真面目なジャーナリストたちと切り分けた形で旅券法が運用されて欲しい。(文◎西牟田靖)
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