ジャーナリスト安田純平さん帰国の報に対して、ネットを中心に余りにも勘違いしている人がいます。「自己責任だからしょうがない」論。そこから「自己責任だから死んでも仕方ない」まで発展する人もいます。大丈夫ですか? 何かがおかしい、とご自分では省みないのですか?
まず、同じ日本人として、日本人が無事に帰ってきたことに「お疲れ様」と言うのが筋です。というより、日本人でなくても人が生死の境目から帰還したら同じような気持ちを抱くのが「真っ当な」心根ではないでしょうか。
安田純平さんは戦場ジャーナリストです。つまり、一般の人が行けない戦地に行って現場をリポートするのが目的であり「職業」です。
この仕事の日本における泰斗として明治時代、西南戦争に従軍したジャーナリスト福地桜痴(源一郎)がいます。文字通り、戦場ジャーナリストの先駆けです。彼の記事のおかげで現在も西南戦争のリアルが伝わってきます。「翔ぶが如く」(司馬遼太郎著)などの作品も彼の取材がなければ成立しなかったかも知れません。彼も一歩間違えれば「戦死」の可能性がありました。また、日露戦争に従軍して「乃木大将と日本人」をアメリカ人記者スタンレー・ウォッシュバーンが著しました。
福地から始まった(とされる)日本での戦場ジャーナリズム。戦場に赴き、最小限の安全を確保しつつ、現場戦地をリポートする事は、意義があるのです。危険地帯を危険と報道すれば政府は国民に対してその国へ渡航する事に注意を則します。つまり、公益性がある仕事なのです。
戦場カメラマン沢田教一さんはピューリッツア賞を取りましたが、現地で亡くなりました。安田純平さんは亡くなれば「偉かった」のでしょうか。日本人が、いや、人が亡くなって「よくやったね」とほめる事は人間のあるべき姿として、生き方として間違っています。
安田さんに対する批判で、少し理解できるのが「安田さん英雄論批判」です。これは安田さんのせいではありません。僕も、「誰が安田さんを英雄とか言っているのか」と驚きましたが恐らく、テレビ朝日の玉川徹さんの言葉が拡散されているかと思われます。これには玉川さんに苦言を呈しておきたいです。英雄は言い過ぎだろう、と。こういった風潮に対して、過剰に反応するムキがあるのかと思います。
が、それが「自己責任論」へと結びつくのは余りにも愚かです。
安田さんのツイートも見ました。現政府に対して、反旗を翻す内容でした。その文章表現は僕は、品がないものもあったと思いましたしたが、僕も品のないツイートをしています。
しかし、この国では言論の自由、表現の自由が認められています。基本、何を言っても良いのです(これについては何度も言ったり書いたりしています)。けれども、「政府に助けてもらうのはおかしい」という論こそ、全くおかしいものです。憲法に基づき、政府は政府の役割を果たすのみです。すなわち日本国民の安全を保障する、です。
今回の「事件」について、安田さんは記事か本か映像で発表するでしょう。それは僕らが分からなかった中東情勢を知らせてくれるでしょう。また過去の安田さんがシリアに行って撮影した映像も、彼が現地入りしたからこそ初めてわかるものでした。
少女が銃声に耳をふさぐ様子。幼き子供が亡くなってしまった事。こんな悲劇が世界で起きている事を安田さんは伝えてくれました。これは日本人にとって非常に貴重な情報です。
安田氏の帰国に関して、ずっと言われているのが自己責任論です。すなわち、自分の事は自分で責任を取ると言う事ですが、一見、勇ましく聞こえます。勇ましい事を言う人ほど、僕は疑心を持ちます。例えば本当の愛国者は愛国とかわざわざ口に出して言わないものです。
主にネトウヨと言われる人たちが批判していると思われますが、ネトウヨと保守は違います。ネトウヨと右翼民族派は違います。同じと言ったら右翼は怒るでしょう。これも記事に書いています。
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ネトウヨも左翼も同じ日本人ではないですか。日本を良くしよう、子供たちが笑顔で育って欲しい、貧しい人たちが一人でもいなくなって欲しい、自殺者が一人でも減って欲しい、弱者の立ち場にたった政治を行って欲しい。立場は違えど、そう考えていると僕は信じたいものです。
2011年夏頃の小高地区(筆者撮影)
現場に行くという意味では、福島第一原発事故取材だって、同様です。僕はまだ大熊町や小高が放射線量が高く、立ち入り禁止になっている時期に地元の人間と入りましたが、これも自己責任です、当然。そんな事は分かっているのです。安田さんも当然理解しています。「で? それからどういう議論が生まれるの?」という事です。
戦場ジャーナリズムは戦争が起きているかぎり、必要なのです。行きたくない、けれど行かなくてはならない。そういう思いで取材に出かけています。そして、思想がどうであれ、人柄がどうであれ、彼らの仕事には意義がある事なのです。歴史に残る事なのです。
福地桜痴のした仕事のように。
自己責任論でそういったジャーナリズム活動を委縮されるのは先進国として、世界の尊敬を集めている国がするべき態度ではありません。「さすが日本だ」。そういう評価を得るべく恥ずかしくない言動を取りたいものです。(文◎久田将義)
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