少年Aが住んでいたとされる足立区の団地(筆者撮影)
2016年2月、元少年Aが足立区内の団地で生活していることが『週刊文春』によって報道され、大きな話題となった。
あの陰惨な事件から20年近くが過ぎ、すでに33歳の大人となった彼が暮していた団地は、足立区と埼玉県草加市との境にある。
その団地へと向かってみた。人々にどのように記憶されているのか、この目と耳で確かめてみたかった。
団地のある足立区北東部は、筑波エクスプレスが開通するまで、陸の孤島と呼ばれ、甚だ交通の便の悪い土地であったが、近年リフォームされたこともあり、若い夫婦なども増えているという。その人の流れの中に紛れ込んで元少年Aは棲み着いたのだった。
元少年Aが暮していた棟は、団地の北端で、毛長川という川のほとりにある。周囲には公園もあり、のんびりとした空気が流れている。
元少年Aが暮らしていた棟の近くで、住民と思しき男性がベンチに腰掛けていた。挨拶をしてから、気になっていたことを聞いてみた。
「少年Aが住んでいて大騒ぎになりましたが、住民の出入りは以前からあるんですか?」
男性は、屈託もなく話してくれた。
「うちの部屋の上にも、ひとり男が住んでいてね。三ヶ月ぐらい前に引っ越してきたと思ったら、つい最近いなくなっちゃったんだよ。動きがおかしくてね。カゴ付きのオバさんが乗る自転車を自転車置き場に置かないで、わざわざ部屋まで持って上がるんだよ。あれはきっとやましいことがあるんだろうな」
40年以上、この団地に暮しているという男性は、住民によるトラブルは少なからず発生しているという。
「まず家賃が安いだろ、だから下っ端のヤクザが多くて、堂々とした顔して歩いているよ、この前も、少年Aが住んでいた棟の近くでヤクザ同士の喧嘩があったばかりでさ」
陸の孤島と言われてきた故に、都市の中の漂流者たちを、呼び寄せるのがこの団地だった。世の中を震撼させる事件を起こし、日本社会の日陰を歩かざるを得ない少年Aがこの地へと来るのは必然だったようにも思える。
少年Aは1997年に児童二人を殺害し、三人に重軽傷を追わせ、逮捕された後、医療施設に送致。2004年に仮退院し、四国や東京都内、神奈川県内を転々とし、この団地へと流れてきた。
4年ほど前から、少年Aが都内にいるのではないかという噂は、ところどころで囁かれていた。そのうちの一つは東大和市の団地にいるというもので、近隣のスーパーマーケットで働いていたという。
元少年Aはこの団地から消え、どこへと流れていったのか。住民たちの間でも話題になったようで、団地に暮らす女性が言う。
「支援する人がいて、部屋の手配とかしているって話ですけど、さすがにもう東京にはいないって、今度は越谷に行ったって噂が出てますよ」
今後の潜伏場所は、やはり人の動きがある都市近郊のベッドタウンということになる。隣近所の人間関係が濃密な、田舎に潜伏することはまずないだろう。
団地周辺を歩いていてさらに不気味な話を聞いた。元少年Aが暮しはじめたと思われる2015年夏前後から、団地周辺では、猫や鳩などの動物を殺害する猟奇事件が頻発していたという。
小動物を殺していたのが元少年Aだという確証はない。ただ彼がこの団地を去ってからというもの、そうした事件は起きていないという。(取材・文◎八木澤高明)
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