ロフトプラスワンにて、相模原障害者施設での事件真相に迫る 社会全体にある価値感とは

2018年10月11日 ロフトプラスワン 事件 相模原 精神 障害 障害者

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 2016年7月26日、ツイッター上に障害者施設の元職員男性によって投稿された言葉「世界が平和になりますように beautiful Japan‼︎‼︎‼︎」。この言葉の裏では相模原障害者施設で戦後最大の殺傷事件が起きていた。

 あの事件から2年が経つ現在、事件の記憶は世間で急速に風化し、社会の闇のなかに影を潜めた。進まぬ事件の解明や、匿名報道という事件の特異性が取り残され、多数派の記憶からその姿が消え始めている。その社会に抗うかのように2018年10月8日、新宿ロフトプラスワンにて月刊「創」編集長 篠田博之さんを中心とした「相模原障害者殺傷事件の真相に迫る」というイベントが行われた。

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 精神科医の香山リカさんや、障害者施設の元職員の方などを壇上にあげ、植松被告や事件のあり方など、メディアが萎縮し進まぬ事件解明や社会に対して警鐘を鳴らしたイベントである。

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 特に印象だったのが元職員の声だった。「彼ら彼女らの生活と私たちの生活の差ってなんでこんなに違うのか。これは単なる差ではなく社会的に仕向けられた差ではないか。そこに差別を感じた。」36年もの間働いていた男性の言葉である。身近で少なからず社会からの影響を肌で感じていたのだろう。

 この事件の犯人である植松被告は誰もが見ても凶悪な犯罪者である。しかし、彼は彼の中にある社会に対する価値観によって、この事件を引き起こしてしまった。「世界が平和になりますように」というように彼には彼なりの正義があった。そうだとすれば問題があるのは彼の価値観だけでなく、社会全体にある価値感にも問題がある。匿名報道もそうだが障害者に対する社会全体の負の価値観がこの事件を引き起こしたことも大きな原因ではないか。この原因を解明しなければ、いずれまた悲劇が訪れる。

 たとえ障害をもつ人がいたとしても、それは単なる障害者ではなく、同じ人間であり、障害を持たない人にはない、優しさや感性があり、それは個性でもある。

 人と違うからダメではなく、人と違うからこそ支え合うことができる。自分ではできないことも、自分にしかできないこともある。それを共生できるのが人間ではないだろうか。(文・写真◎宮原塁)



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