朗読詩人 成宮アイコ 傷つかない人間なんていると思うなよ

わたしたちは人を殴らず誰も殺さずとも生きていける|成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第三回

2017年12月06日 DV うつ うつ病 メンタルヘルス ライフハック 不安 孤独 家庭内暴力 家族 成宮アイコ 暴力 生きづらさ 生き辛さ 精神科  鬱病

  • LINEで送る
  • ブックマークする
  • シェアする

narumiya03_01.jpg

怒りのフラッシュバック

 人の死や心ない言葉など、悲しいできごとのフラッシュバックもつらいですが、受けた暴力や罵倒に対しての「怒りのフラッシュバック」は、よりきついことがあります。わたしは、DV家庭で生まれ育ったので、人が声を荒げたり暴力をふるおうとする場面に遭遇すると、体調によっては昔のことが全部ぶりかえしそうになることがあります。そんなタイミングで連日続くお相撲のニュースを見ていると、具合が悪くなってしまうのでチャンネルを変えるようにしています。まさにわたしが祖父から殴られたのも、テレビのリモコンでした。

 ときどき、自分の腕力を見せつけようとしたり、それを武勇伝のように語る人と遭遇することがあります。そういうときはその人と、少し距離をとるようにしています。人を殴ることに理由をつける人は、だいたいみんな同じ言い訳をします。「むかついた」「態度が悪い」挙げ句の果てには、「自分を怒らせたのは相手のせいだ」と言う人もいます。そして「伝統」や「しつけ」だの、理由のついた暴力がくり返されます。それを受けた人は、自分がされてきたことだから、今度は自分がする番だ、と連鎖が起こります。

「でも、良い人だから」

 万が一、良い人だったとして、「良い人ならば暴力をふるっても許される」その逆に、「嫌なやつだから殴られても許される」がまかり通ったらどうでしょうか。他人にとっての「良い人」は、別の他人にとっては「嫌なやつ」かもしれません。基準はどこにもないのです。現に家庭をめちゃくちゃにした祖父は、家の外では体裁よくふるまっており、近所の人からは"愛想のいいおじいさん"と思われていました。

「昔は体罰はまかり通っていた、昔は良かったのになぜ今はだめなんだ?」

 ほんとに昔は良かったのでしょうか。......わたしは昔もだめだったと思います。立場が上だから、普段は良い人だから、相手が悪いから、だから殴ってもいい理由になってしまっては困ります。人間はコミュニケーションをすることができます。言葉があろうがなかろうが、表情やしぐさでも感情を伝えることができます。そして、相手の気持ちを感じることができます。想像をすることができます。それは思いやりという言葉で言い換えられますが、思いやりとは自然に備わっているのではなく、お互いが少しずつ想像をする努力が必要だと思っています。
 ここは短縮してはいけない部分ではないでしょうか。ただし、心に余裕がないときはそれができません。

 祖父の背景に何があったのかはわかりませんが、おそらく、自尊心が低くプライドが高い人だったのだと思います。不思議なことですが、相手に思いやりをもつことは自分自身への自信と少し繋がっている気がします。

narumiya03_02.jpg地元に帰るたびに展望台から見下ろしてみる

血で血は洗えない

 暴力は正義ではありません。腕の拳を自分のちょっとした機嫌で振り上げてはいけないのです。ましてや、今までもこうだったから〜、という理由をつけて「伝統」として扱うことは、ほんとうに危険だと思うのです。

 電車で隣の席に座った人が自分の好きなバンドをディスっていても、殴ってもいい理由にはなりません。ましてや、同じバンドが好きな人と共謀して、「わかりみ!!」と言ってボコボコに殴っても良しとされてはいけないのです。あなたが好きなものが、別の誰かにとっては嫌いなものかもしれないのです。そして、そのバンドだって喜ばないはずです。

 実際に、自分にふりかかったとしたらどうでしょうか。殴らないどころか、倍以上の仕返しをしたいとさえ思うのではないかと考えてみると、絶対そんなことは思わないという自信がありません。今のところ大丈夫ですが、いつかそう思ってしまったらと考えるとほんとうに怖いのです。なぜなら、わたし自身の中に爆発しそうな憎しみの種があるからです。

 祖父から殴られたあと、わたしは自分の部屋の柱をカッターでズタズタに傷をつけていました。ふと我に返って、柱に刻まれた跡を見たときの恐怖は忘れられません。一人っ子のため激しい人見知りでおとなしく、ピンク色やフリルが好きだった自分自身と目の前の光景があまりにかけ離れていたのです。その時、怒りでわたしの肩は無意識に震えていました。

 祖父のことは、今でも許せていません。ですが、決して許せない家族を殺したいとは思っていません。そのかわり殺したいと思ってしまわないように、無理に許そうと努力をしないことにしました。憎むことは自分を消耗します、そして誰かを憎む自分自身のことも憎みはじめてしまいます。あなた(あるいはわたし)の憎しみを無理に消そうとしなくても、相手を許そうとしなくても、あなた(あるいはわたし)は人を殴らなずに、誰も殺さずに生きていくことができています。血で血は洗えないのです。だからどうか、憎いあの人たちがわたしの知らない場所で、幸せに暮らしていてほしいと願っているのです。

 そして、わたしのこのコラムも、もしも誰かにとって「ライフハック」になれたとしても、別の誰かにとっては「クソメンヘラの駄文」かもしれません。もしくは似たような人生経験をしている方にとっては、フラッシュバックのトリガーになってしまうかもしれません。

 世界は地続きです。言葉を発するとき、誰かと話すとき、そのことをいつも胸にとめておきたいと思うのでした。

文◎成宮アイコ

赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」刊行。

  • LINEで送る
  • ブックマークする
  • シェアする

TABLO トップ > 連載 > わたしたちは人を殴らず誰も殺さずとも生きていける|成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第三回
ページトップへ
スマートフォン用ページを表示する