自分の家のおかしさに気づくきっかけ
「ドラえもん」や「セーラームーン」と同じようなSFマンガだと思って見ていた「ちびまる子ちゃん」がエッセイマンガだと知ったときの衝撃は忘れられません。もしかして 、他の家は家族団らんの日常を過ごしているのか......!?
わたしは、いわゆる家庭崩壊のテンプレのような環境で育ちました。
性格に難アリの酒乱男性が2名いる成宮家は、家族が揃えば大声でのケンカがスタート。DV祖父から日々「お前は家族の最下位なんだから」と罵られ、テレビのリモコンで殴りかかられたり、家に他の家族がいない日には家中を追い回されて階段でもみ合いになって突き落とされたりしながら、それでも死ぬわけにはいかん、と、バイオハザードのような毎日を過ごしていました。
休日はパチンコからのお酒コースに出かけたまま帰らない父親と、「来週の休みは早く帰ってきてね」と、毎週のように"指きり"をしました。そんなかわいい約束も小学校くらいまで。その後、父親はわたしの人生からフェードアウトしました。......かといって平和が訪れるわけでもなく、俺の時代だとばかりに祖父は大荒れ。身の危険を感じた日、自分以外の誰かが家に帰ってくるまで玄関の外でじっと座って待っていたことを覚えています。豪雪地帯の新潟です。雪の降る中、玄関の外に座っているわたしをいぶかしげに見る近所の人の視線が痛かったです。
血縁とは理屈で説明できないもの
家族の体をなさなくなっても、父の郵便物は家に届き続けますし、いつの間にか一人分減った夕食の準備に気づかぬふりをしながら下を向いて食べるご飯は息苦しく、一度も守られることのなかった指切りの思い出を消したくても、いつか叶えられるかもしれないとどこかで信じていました。それでも、あの頃のわたしには繋ぎ止める手段は、他になにも思い浮かばなかったのです。裏切られると知りつつ、同じ約束を何度も繰り返し続けることの虚しさは、生きる気力を確実に削り取っていきます。
わたしの代わりに殴られた母や血の繋がらない(ここもややこしい)祖母のことを思うと、大人になったわたしのまま、DV祖父に仕返しをしに行きたい怒りにかられます。けれど、もう亡くなっているため、やり場のない怒りと哀しみだけが残り続けています。自分の人生にべったりと張り付いて離れない血なまぐさい出来事は、自動的に過去として扱われてしまいます。当事者の中では、少しも色褪せないままいるのですが。
いつも苛立ちを抱えるほどの、知られざる人生遍歴が祖父や父にもあったのかもしれません。ただ、それを思うとわたし自身の苦しみや地獄の日々を許さなくてはいけなくなるので、考えないようにしています。あの地獄の日々を、わたしは一生許せないでしょう。そして、憎い祖父と父へに抱いたままの「愛されたい願望」も消えることはないでしょう。血縁とは理屈で説明できないものです。
このように家族の愛憎は、決して美しいものではありません。
もしかして血が繋がっていなければ、「むかしは申し訳なかった」と謝られたら許せることもあるかもしれません。ですが、相手は血縁です。「愛して欲しかった」という期待が消せない血縁です。許せたら楽になる気持ちと同じくらいの憎しみがあり、完全に憎めたら楽になると知りながら、愛が消せないのです。
あなたは、あなたの人生を歩んでいい
家から必死の思いで抜け出し、暴力のフラッシュバックも少しずつ減ってきたころ、自民党・憲法改正草案の第24条の追加文言「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」というニュースが目に入りました。その瞬間、小学生のわたしが父と交わした指きりの虚しさを思い出しました。
愛情に包まれた家族はもちろん理想です。助け合い、支えあえるならば最高です。
けれど、家族はけして美しいだけではありません。
同じような経験をした人と話をすれば、その人の苦しみに「あー、それ分かるわ...」と手を差し伸べることができます。逆に、手を差し伸べてもらったことも数え切れないほどあります。「あなたは、あなたの人生を歩んでいいんだよ」と言われたとき、初めてわたしは自分の人生の存在を意識しました。それまでは血縁の中で生きる我慢・苦しみ・憎しみだけが原動力でした。
以前、いろんな方が住む大型老人ホームにうかがったとき、利用者の方がおかゆを床にぶちまけました。職員さんは「あ〜あ! 床真っ白! 雪崩だね、これは」と、おかゆをこぼした本人に話しかけ、笑いながら片付けをしていました。仕事という関わりということも大きいですが、なぜか人間は他人には少しだけ寛容に接することができます。もしも血縁だったら、「何度も気をつけてって言ったじゃない...仕事増やさないで...」とイライラしてしまうかもしれません。
血縁だからできることはあります。
ですが、血縁じゃないからこそできることも同じようにあると思うのです。
重要なのは「家族が助けあうことを強制する」ことではなく、血の繋がらないわたしたちそれぞれが持つ思いやりだと信じたいのです。
文◎成宮アイコ
赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」刊行。