Photo by 塩村あやか公式サイトより
初手を間違えさえしなければ、セクハラ発言としてもそこまで火の手は広まらなかったように思える鈴木都議の野次問題だが、その後の対応を間違え続けたが故に自分でボヤを大火事に育て上げてしまった。
まず、最初からメディアは「鈴木だ」と勘付いていたのに、しらばっくれて逃げようとした無様さがいただけない。何としてでも処分請求の期日である3日間は逃げ延びたかったのだろうが、その魂胆が最初から見え見えだったのが恥ずかしかった。その直後にのこのこと名乗り出たものの、そこで「早く結婚して欲しいと思って~」などと最も口にしてはいけない言葉から順番に放つ的な言動で火に油を注いだ。
ついでに自民党・石破幹事長の「結婚したくてもできない人のために~~」という援護になっていないオウンゴールによっておまけの大炎上。これにより鈴木都議個人の問題ではなく、自民党全体の意識として「昔ながらの結婚観で凝り固まっており、その通りに出来ない方が悪いと考えている」ことが明らかとなった。
そんな今の時代の惨状や個人の自由を把握出来ていない連中だからこそ、1強状態を活かして生活苦にあえぐ国民からあの手この手で搾り取る、規制を乱発して自由な活動を阻害する、社会問題の病巣それ自体はスルー、だけど議員報酬は元に戻しますね~、といった政策を推し進められるのだろう。
と、この辺りについては過去2回の記事でも触れている。
さて、今回注目したいのは今回の一件で無様な姿を晒した自民ではなく、どちらかというと塩村都議側のマズさである。
当初は完全なる被害者として扱われていた塩村都議だが、彼女も彼女で引き際を間違えた感があり、今ではプライベートから過去のタレント時代の言動から出自から、様々なネタが浮上してハリネズミになりかけている。
そもそも、この一件を「セクハラ問題・性差別問題」に落とし込もうとしたのが失敗の始まりであろう。そちらの方が話は解りやすくなったかもしれないが、この手法には大きな弱点がある。それは「男女平等論に行き着くと女性の側にも不都合が出る」という点と「主張する人間によってはお前が言うなの一言でぶった斬られる」という二点だ。
前者については、鈴木都議の野次をセクハラとするならば、女性議員が男性議員に対して失礼な言葉をぶつけたり、女尊男卑すぎる要求を突き付けたりといった言動も同様に問題視されねば話がおかしくなる。
また後者については、塩村都議のタレント時代のキャラクターや、そのキャラに沿った言動(演技含む)のすべてがブーメランと化すおそれが解り切っていたはず。女性の権利などを主張したいのに、発言者が "女に嫌われる女" ではあまりに都合が悪い。こうした点についても『読みが甘い &客観の視点がない』と言うよりない。
では塩村都議はどう立ち回るのが無難だったのだろうか? 無責任な後付けの意見で恐縮だが、彼女の職業は都議会議員なのだから、早い段階でその本分に立ち返るべきだったのではないだろうか?
例えば鈴木都議が名乗り出た段階で手打ちにし、各メディアから注目を浴びていることを利用して、問題となった一般質問の場で発した内容を再度アピールし、セクハラうんぬんについては二度と口にしないといった選択肢があったはず。
ウソでもいいから「私個人のことは政策とは無関係なのでどうでもいいです。 それより今の東京都がいかに子育てに向いていないか、いかに少子化対策の面で欠陥だらけかの方に注目してください。今後はそうした政策に関する話題のみお話させていただこうと思います」のような言葉があれば、報復めいたネガティブな報道があっても何とかしのげるだろう。
逆に鈴木都議の側も、もっと早い段階で名乗り出て、言って良い言葉と悪い言葉を熟考した上で謝罪し「今後の処分については塩村都議に一任します。有権者の皆さんを裏切るような言動をしてしまい申し訳ありません」くらいのことが言えれば最小限のダメージで済んだはずだ。それが出来ていれば、仮に塩村都議らが「じゃあ辞職しろ」とでも言おうものなら必ず助け舟が出て逆襲のタイミングもあるだろうし、会派からの離脱すらせずに済んだ可能性がある。
今の時代はネットやSNSのお陰で昔とは比べ物にならないスピードで情報が駆け巡る。よって政治家のような一言の失言が身を滅ぼす立場の人間は、マズイと思ったら「最悪の状況を想定してとっとと謝罪する」ことが何よりの延命策となる。身勝手で無責任な外野が石を投げ付けるより先に「石を投げている方が情がない変人である」と見せられるような形で頭を下げてしまうというのが最大の防御法なのだ。
これは一般人のTwitter炎上などにも流用できることなのでしつこく言っておくが、マズイと感じたら下手に逃げようとか誤魔化そうと考えず、「ギャラリーが勝敗を裁定するより前に自分から堂々と謝る」こと。これを上手くやれれば、潔さを評価されて味方が増える可能性すらある。試合に負けて勝負に勝つというヤツだ。
また論争などで自分が勝っている、押していると思っても、勝ち過ぎてはいけない。相手が苦しくなって来たなという辺りで許し、ツベコベ言わずに話を閉じること。これもこれでギャラリーに良いイメージを与えられる上手な勝ち方だ。
徹底論破を目指す方法は一見かっこよさげではあるが、単に禍根が残るだけで、廻り廻って自分の吐いた言葉がブーメランとなり、いつか自分の首を絞めることに繋がる。日本人らしく、無駄に怨念を残さぬように、KO勝ちではなくギャラリーの裁定による判定勝ちを狙うのが最も無難だし、得る物も大きいのである。
このセクハラ野次騒動で、鈴木都議及び自民党は負け方が下手すぎたし、塩村都議も勝ち方が下手すぎた。それ故の泥仕合である。
個人サイトを立ち上げて以来、10年以上もネットバトル(笑)だけやって来たようなアホなオッサンの遺言だと思って聞いてください。勝ちすぎも負けすぎも、どちらも同レベルの痛恨のミスなのです。
Written by 荒井禎雄
【関連記事】
●セクハラやじ、次世代の党、伸晃失言...石原慎太郎的なものを考える
●セクハラやじ問題はうやむや幕引き? ボヤを業火にした自民党
●セクハラやじで鈴木章浩都議が謝罪...女性蔑視より深い政治家の病巣