Photo by 国家なる幻影―わが政治への反回想
石原慎太郎がまた注目を浴びている。日本維新の会から分かれた石原慎太郎氏のグループの新党名は「次世代の党」。命名の意味には「子や孫の世代に平和で豊かなよりよい日本で暮らしてほしい」という願いが込められているという。「七夕党」とか「遺言党」でもよかった気がする。
さて今回私が考えたいのは石原慎太郎本人よりも「石原慎太郎的なもの」について。まず都議会ヤジ問題。私が注目したいのは「上っ面の部分だけ石原慎太郎」のふわふわさ。
ヤジを名乗り出た鈴木彰浩都議のプロフィールであらためて注目されたのは「2012年8月に尖閣諸島に無許可で上陸」だった。「ああ、あの時の」と記憶がつながった。
石原都知事により東京都が尖閣諸島を購入する構想が発表されたのが2012年4月。鈴木都議らはその4か月後に尖閣に上陸したことになる。あの時、ただの勢いだけのような感じがしたのは私だけだろうか。とくに確固たる思想や理念をあまり感じなかった。
その点、石原慎太郎にはブレないめんどくささがある。賛否もハッキリある。本人も自負しているはず。確信犯で炎上マーケティング的な狙いもみえる。「尖閣諸島を購入計画」なんてまさにそう。世間で論議が起きればしてやったりだろう。
では「石原慎太郎的なもの」を気取る若手政治家はそこまでのめんどくささを持っているのだろうか。てっきり私は鈴木都議は「女性の社会進出に反対」と主張しているのかと思ってHPをみたら「女性が働きやすい社会の実現」と訴えていた。空っぽではないか。そこに何がしかのこだわりやめんどくささを一切感じない。中身は空なのに志向だけはマッチョ、はとても軽くみえる。
あと今回の都議会のヤジはあそこに感じる下品さと軽薄さは当然として、もっとも違和感があるのは鈴木都議らはなぜあんなにエラそうなのか「根拠がない」ことだ。ひとつ推測するなら、世の中の多くの人が気づかない狭い世界で、存分にエラそうにふるまうことができるローカルマッチョとでも呼ぶべき人たちがいるということだ。本人たちにとっては適度に心地よい権威。あの都議会の議場はとてもぬるそうで居心地がよさそうではないか。世間の死角。
さて、エラそうなことに根拠がないのは石原伸晃も同じ。「最後は金目でしょ」とか、なぜ伸晃はあんなにエラそうな物言いをするのか。こちらの場合は「石原慎太郎的なふるまい」だけで成り立っている正真正銘の慎太郎チルドレンだからだろう。正統な上っ面感。
それが証拠に伸晃も父親と同じく問題になる発言が多いが、伸晃の言動で賛否が分かれて世間が侃侃諤諤と議論したことは何もない。見事すぎる空。石原慎太郎が国政に復帰したのは息子・伸晃が自民党総裁選で惨敗した数か月後だった。慎太郎は橋下徹と手を組んだ。伸晃をあきらめて「理想の息子」を橋下に見たのではないかと私は思った。
しかし今回、橋下徹とあっさり別れた。最近の急落ぶりを見て見切ったのかもしれない。では石原慎太郎が託す「次世代」は誰なのか。ひとつの見ものである。
「21世紀の石原裕次郎を探せ!」で選ばれた徳重聡をそのままスライドさせてもよいかもしれない。
【前回記事】
石原伸晃、場外弾で待望の失言第1号...プチ鹿島の『余計な下世話!』vol.49
Written by プチ鹿島
プチ鹿島●時事芸人。オフィス北野所属。◆TBSラジオ「東京ポッド許可局」◆TBSラジオ「荒川強啓ディ・キャッチ!」◆YBSラジオ「はみだし しゃべくりラジオキックス」◆NHKラジオ第一「午後のまりやーじゅ」◆書籍「うそ社説 2~時事芸人~」◆WEB本の雑誌メルマガ ◆連載コラム「宝島」「東スポWeb」「KAMINOGE」「映画野郎」「CIRCUS MAX 」
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