宮崎勤事件には「5人目の犠牲者がいた」のではないか? この『未解決』説を追う――(2)

2018年05月02日 オタク 宮崎勤 幼女誘拐 未解決事件

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宮崎勤の住宅は壊され右に駐車場らしき看板があるが一台も停まっていない。そして近くには川が流れており、入間川もそうだが、宮崎勤の脳裏には川が何かの象徴だったのだろうか。


前回まで。1988年から1989年までは子供たちにとっては地獄の季節でした。宮崎勤事件以外にも犠牲者は出ていました。その宮崎勤は四人の痛ましい犠牲者を出して、宮崎勤元死刑囚は刑場の露と消えました。しかし、実はもう一人の犠牲者がいるというのです。(編集部)


(前回より 宮崎勤事件には「5人目の犠牲者がいた」のではないか? この『未解決』説を追う――)

 


 同じ今田勇子の「犯行声明」では、次のようなことを書いて「偽装工作」をしている。 


『やがて、正美ちゃん、絵梨香ちゃんの事件が起こりました。おそらく私の事件に触発された誰かが、面白犯半分にも起こしたのでしょう』

 この自分が書いた事に関し、宮崎はさらに「告白文」で次のような補足までしている。

『声明文中に「`正美ちゃん、絵梨香ちゃんについては、触発された誰かが面白半分にも......`と書きましたが、どうも私が説明し足りなかったようです。世の中には、私のような罪人、この罪人でない人のほうが多いわけです。つまり、まだ`最初`を知らない人です。その人達は当然、私じゃない、今でもどこかで、「自分は、あんな人間じゃないんだ」とゆとりをもっている筈です。どう考えても、「まだ出してない」以上、面白がりで「してみようとする」ことができるのでしょう。私はそう言ったのです。誤解はしかたなかったにしても、これだけは一緒にしないでください
 あとで二度、三度行うにしても、まさか同じ場所でする筈がありません。度胸がどうのこうのの話ではありません。捕まる可能性を自分で高める人がいるわけがありません。私の子供に、遊び相手を送るにも一人送れば沢山です。二度とする気などありません。隠し場所にだってこそこそ隠し事にだって(※ママ)困ります。せっかく何事もないように装えた暮らしを、発見の危険性で、その平穏を自ら壊すようなことをするわけがありません』


宮崎勤(今田勇子)の偽装工作


 今田勇子という別人格を装って書いた手紙しても、ここで宮崎が主張しているのは、一人以上......つまり、自分が複数の子供を連続して(しかも同じ場所で)殺害することなどあり得ないということだ。
 

 それは、結果的には偽装であり、嘘であった。

 「五人目の犠牲者」(編集部註・可能性がある)大沢朋子ちゃんは、遊び場にいった公園近くの道で、自転車を押した30歳くらいの男に従うようにして歩いていたらしく、同級生をはじめ何人かの小学生がその姿を目撃している。ただこの時点では、まだ事故で川に落ちた可能性なども考えて捜査が進められていた。


 行方不明になった朋子ちゃん事件の続報は「ない」に等しかった。白骨死体が見つかったときも、三大新聞の記事は読売がちょっとだけ大きな見出しを使ったくらいで、事実関係を簡単に記しただけのほとんど目立たないものだった。

 朋子ちゃんに関する報道記事は、実は非常に少ない。連続幼児誘拐殺人事件の四人の被害者に関する情報が、繰り返し繰り返し、写真付きで大きく記事にされていたことを考えると、そこに天地の隔たりがある。無論、朋子ちゃんを除く四人の犠牲者の事件は、宮崎勤事件の犯行として正式に起訴されたという事実がある。

ojimamachi.jpg「五人目の犠牲者」なのか。大沢朋子ちゃんが誘拐された尾島町


 だが、その前段階でも、四人の犠牲者の報道は多かったが朋子ちゃんが取り上げられることはごくまれだった。大きく報道された女児たちが、それゆえにいささかでも幸運だったとはけっして思わない(むしろ見世物にされているような不幸を、しばし感じた)。

 だが、宮崎勤の「五人目に犠牲者」(犯行順序で言うと一番最初にあたるが)ともいわれ、宮崎が誘拐・殺害した四人の犠牲者と同様に、無残な少女の死体が発見された事件でありながら、どうしてこれだけ報道量に差が出たかという事には疑問が残る。 

 実際、一般の人間であっても、連続幼女誘拐殺人事件の犠牲となった、四人の女児の顔を覚えている人はいるだろう。しかし大沢朋子ちゃんの顔を知っている人はほとんどいないはずだ。

1988~1989年は子供たちにとって地獄の季節

 

 理由としては、次のような事が考えられる。

 1988~1989年に起こり、日本の最も注目を浴びた事件は、連続幼女誘拐殺人事件である。埼玉県は都内江東区で起こった、真理ちゃん、正美ちゃん、絵梨香ちゃん、綾子ちゃん誘拐殺人事件については現場の近さから「同一犯である」というマスコミの見方が強かった。だが埼玉という隣県であっても群馬を入れると、「首都圏の犯罪」という枠が崩れてしまうのである。

 そして朋子ちゃんの失踪事件は、真理ちゃんが誘拐されるほぼ一年前の1987年9月のことであった。

「AERA」(1989年6月27日号)は、「もう子どを殺すな」というタイトルの6ページにわたる特集を組み、当時から一年余りのうちに、殺害されたか、行方不明となっており、その恐れが強い、10人の子どもの事件を紹介し、全員の肖像写真も掲載した。男児がひとりいる他は全員女児であり、連続幼女誘拐殺人事件の被疑者はいいずれも取り上げられている。

 しかし、ここにも朋子ちゃんの姿はない。もはや「古い」事件になってしまったのだ。......もし朋子ちゃんの事件を加えると、事件の「連続」という定義が危うくなる。

 また、朋子ちゃんの年齢は8歳であり、四人の犠牲者のうち三人が4~5歳であったことを考えると、やや年齢が高い。しかし、吉沢正美ちゃんは7歳であり、犯人の「嗜好」からまったく外れているとも思えない。

 ただ、「幼女」という括りの中では、7歳でもギリギリであり、8歳だともはや「少女」の部類に入る印象がある。

 つまり、大沢朋子ちゃんの事件は連続幼女誘拐殺人事件が未解決事段階のとき点と線の一直線上にあったはずだが、ちょっとずつ微妙なズレが感じられたのである。

 それは「イメージ」のズレといっていいだろう。あえて、断定するが、「マスコミ」や「大衆」は「連続幼女誘拐殺人事件」というイメージのズレを好まなかったのだ。分かりやすい共通項の集合として、事件を認識したかったのである。

 朋子ちゃんの報道が極めて少なかったのは、被害者や加害者の人権の配慮などではなく、実際の事件の流れよりも「イージー化されたイメージ」をいわゆる大衆が望んだ結果の繁栄ではないか。

 宮崎勤の逮捕後、その存在が「オタク」ととして単純に戯画化され、思考や行動が極端にバターン化されて流布したのも「事実」より「イージー化したイメージ」を大衆社会露骨に臨んだ為である。連続幼女誘拐殺人事件は、消費社会における報道の限界が見えやすい事件だった。(文◎蜂巣敦「消えた殺人者たち」より加筆)

tonegawakasen.jpg尾島町側の利根川。このような寂しい場所で無念の最期を遂げた朋子ちゃんを想うと痛ましい


次回へ続く

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