宮崎勤事件には「5人目の犠牲者がいた」のではないか? この「未解決」説を追う 最終回

2018年05月04日 オタク サブカル ロリコン 宮崎勤 未解決事件

  • LINEで送る
  • ブックマークする
  • シェアする

tonegawa.jpg五人目の犠牲者なのか。大沢朋子ちゃんが遺体として発見された利根川河川敷。橋の右側が埼玉県


 前回まで。1988年から1989年にかけて世間を震撼させ、当時のサブカル界に少なからず、影響を与えた宮崎勤事件。4人の幼女を誘拐殺人、遺体損壊した衝撃の事件でした。その宮崎勤は四人の痛ましい犠牲者を出して、刑場の露と消えました。しかし、実はもう一人の犠牲者がいるというのです。1988年に利根川河川で遺体として見つかった大沢朋子ちゃん(当時8歳)です。この殺人に宮崎勤は関わっているのでしょうか――。(編集部)



 雑誌のうち、大沢朋子ちゃんの記事を、本人の写真入りで最も多く報道したのは、「週刊女性」(1989年9月19日号)である。宮崎が幼女連続誘拐殺人を自供してから、一か月後の記事で、タイトルは「天国の朋子ちゃん/とうとう犯人が見つかったよ...」というものだ。犯人とされているのは、いうまでもなく宮崎勤である。

 タイトルの上部には「幼女殺人鬼宮崎勤/5人目も白状/大沢朋子ちゃん(8歳)も殺して捨てた!?」というキャッチがついている。

 一応「!?」と付いているのだが、どういう事実がこの「スクープ」の根拠になっているのだろうか。「週刊女性」の記事からいくつかの箇所を抜粋してみよう。


大沢朋子ちゃんを宮崎勤が殺害した可能性


<......新たにさらけだされた衝撃の新事実が出てきた。野本綾子ちゃん、今野真理子ちゃん、難波絵梨香ちゃん、そして供述が二転三転しているものの、吉沢正美ちゃんに続く第5の犯行! 「群馬でも少女を誘拐した...」と宮崎がほのめかしているのだ...。>

<「行方不明になったとき、私たちも一緒になって河川敷をのすみずみまで捜した。それなのに見つからなかった。1年2か月もたって白骨がみつかったというのは、どこかで殺して運んだとしか考えられない......。それに埼玉の入間郡かここまでは(註・群馬県尾島町)道一本。ちょっと先の太田市には大きなビデオショップもありますしね」(近所の会社員)。
 驚くべき事実もある。最後に朋子ちゃんと話をしていたという男のモンタージュ写真が何と宮崎そっくりなのだ。
「テレビのニュースで宮崎を見たとき、アレッと思いました。ボサボサの髪、年齢、身体つき、すべてが宮崎に酷似していたんです(当時朋子ちゃんを担当していたH教諭)」(註・教諭の名前は記事では本名)>

<9月2日、宮崎は綾子ちゃん事件で東京地裁に起訴。その後、埼玉県警により改めて今野真理子ちゃん事件などの捜査が展開される。朋子ちゃん事件については、地元太田署が「その件については近々、記者会見を行う」というだけで詳細をふせている。>

 確かに推測記事ではあるし、「群馬」でも少女を誘拐した」と宮崎がほのめかしている件についても真偽は不明である。

 そして、宮崎が朋子ちゃんの事件で起訴されることはなく、最初の弁論で四連続少女誘拐殺人を認めた弁護側が、朋子ちゃんの事件に触れることもなかった。

 警察もこの件に関しては、徹底的に捜査はしたのだろう、と一応は信じる。犯人はやはり宮崎ではなかったのか?

ojima.jpgojima2.jpg大沢朋子ちゃんが誘拐された群馬県尾島町。道を離れるとすぐ空き地になり、利根川からも近い


 犯人像の仮説として、群馬県で朋子ちゃん失踪と同時期に起こった、功明ちゃん事件を考えてみよう。(1987年高崎市築縄町で荻原功明ちゃん(当時5歳)が誘拐され身代金を犯人が要求した事件。功明ちゃんは遺体で発見)。

 功明ちゃん事件は、直接的には身代金目立ての犯行だが、犯人が変質者の可能性も高いとされている。被害者を全裸にして、生きたまま橋から投げ落とすなど、残虐性が際立っているからだ。遺体には全身に擦過傷が残っており、川に墜落したときにできたものばかりでなく、犯人から暴行を受けたと思われる傷があった。

 しかし、功明ちゃん事件の犯人は、衝動的でいきあたりばったりの印象があり、1年後に骨を河原に遺棄する、一種の計画性があった朋子ちゃん事件の犯人とは性格的に違うものを感じる。

 また、やはり功明ちゃんの誘拐の目的の第一義が身代金目当てであったのに対し、朋子ちゃん事件の犯人は一度も被害者宅に連絡を入れておらず、いわゆる「幼女目当ての犯罪」である可能性が高い。

 同じ群馬県内で同時期に起こった児童誘拐殺人事件でありながら、犯行の共通点はあまり、見えてこず、別人であると考えた方が妥当だろう。


「もう一人の宮崎勤」はどこかにいる


 では、もう一つの可能性を考えてみよう。犯人が宮崎勤でないにしても、限りなく存在が近い人間だという可能性はある。

 そして何より、宮崎自身がこの朋子ちゃん事件の犯人に、自分と同類のものをみて意識しているのだ。「告白文」の朋子ちゃん事件に触れた箇所を、もう一度みてみよう。

<私のように、後になって骨を運んでいった人がいたのかも知れない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に朋子ちゃんの骨があった。そして、発表の後、朋子ちゃんの両親は御葬式をだした。やはり、朋子ちゃんだと限らなくても、両親という物は、そういうものなのです。自分の子に対する本心の涙で、はっきりしない葬式をあげてしまいました。私は、この事で、ある決心をし、計画を立てたのです>


 宮崎はここで、朋子ちゃん事件の犯人が「遺族に骨を返そうとして、見つかるところに骨を置いた」ということを示唆しているのだと思う。

 骨が捨てられていた葦原は、川から3メートルほど離れており、川面からは高さが約2メートルあるため、川の流れにもっていかれる可能性はほとんどない。人に見つからないように遺棄するつもりであれば、川に投げいれるなり、土に埋めるなりの方法があるので、なるほどこれは発見を前提として置いたものかもしれない。

 非常に、宮崎のやり方とシンクロしている発想だ。

akirunoshi.jpgmiyaxakitaku.jpg宮崎勤の生まれた東京都あきる野市と自宅跡(写真下)。現在は駐車場のような空き地となっている


 また、逆にこうも考えられる。宮崎と別の犯罪者がいるとして、連続誘拐殺人事件が起こり始めたころ、これ幸いと自分の罪もこの犯人になすりつけようとし、わざと白骨死体を見つかるような場所に置いたのだ。犯人の「偽装工作」である。

 ただ、付け加えておくべきは、ちょっとパラドックスだがなんらかの捜査かく乱を狙った「偽装」は宮崎の犯行の特徴なのだ。

 宮崎は、自分が被害者の遺骨を遺族に戻したのは、朋子ちゃんの骨が後になって発見されたことに触発されたからだという内容のことを書いている。では、野本綾子ちゃんの両手首、両足首を切り落としたのも、両肘、両膝から先の骨がなかった朋子ちゃんの白骨死体に触発されたからなのだろうか。

 ともかく、現時点ではこの「朋子ちゃん事件」は未解決である。連続幼女誘拐殺人事件と気になる類似点が幾つもあるが、警察の調べでは宮崎勤の犯行ではないとされている。だとすれば、いまの段階の犯人像での推測は、こう結論せざるを得ない。


「5人目の犠牲者」を誘拐・殺人したのは、野に放たれている「もう一人の宮崎勤」なのだ。


 最後になりましたが、幼くしてこの世を去らなければならなくなった痛ましい被害者と、ご遺族に対して心よりお悔やみ申し上げます。(文・蜂巣敦「消えた殺人者たち」より加筆。文中一部敬称略)

  • LINEで送る
  • ブックマークする
  • シェアする
TABLO トップ > 社会・事件 > 宮崎勤事件には「5人目の犠牲者がいた」のではないか? この「未解決」説を追う 最終回
ページトップへ
スマートフォン用ページを表示する