女優鈴木咲羽が初演出と主演を務めた舞台「結婚の条件」が14日、初日を迎えました。舞台終了後、記者に囲まれた鈴木砂羽は感極まった表情で涙を流していました。稀有な女優さんです。しかし、記者が聞きたいのは舞台の事ではありませんでした。舞台外で起きた「土下座強要」について、でした。
ざっくり整理します。
・稽古中に鈴木砂羽が出演女優二人(同じ事務所)に練習早退を告げられ、キレた鈴木砂羽が土下座して謝れと言った。
・舞台公演二日前に女優二人が降板という異常事態。
・ブログに女優がその事を書いて炎上。
・ワイドショーなどでコメンテーターが舞台監督とはそのようなものという論調を展開(しているように見える)
・鈴木砂羽が舞台初日を終えて、土下座強要を否定
・女優の所属事務所関口社長がテレビ出演して土下座強要はあったと反論
鈴木砂羽と関口社長の言い分が真っ向から分かれています。
確かに人前で演技をするなどということは、人と違った際才能がなければ出来ないはずです。我々とは違う世界に生きているのです。異界の住人と僕などはとらえています。それほど芸事の世界は厳しい。だからこそ、人格否定されようが罵倒されようが、良い作品を残し、ファンの前で演技をし、喜んでもらうというとても想像のつかない世界です。
が、今回、問題となっているのは実は、鈴木砂羽か土下座を強要したかではない気がしています。本質は、土下座もやむなしの世界が演劇界だと援護する同業者と業界内の抗いがたい空気だと思っています。
テレビでのコメンテーター達の「俺たちのころは」「私たちの時代は」のあとに続く言葉は「それが当たり前だった」。そのあとに「それはいけないけれど」とエクスキューズをつけるのですが、これは視聴者の反感らに対するとってつけた予防線である事は視聴者もバカではないから。気づいているでしょうに。
恐らく、我々の脳裏にあるのは故蜷川幸雄監督の演技指導です。物を投げて、怒鳴る激しい演技指導に我々は「やはり世界的監督ともなるとこのくらの指導をするものなのだな」と、懼れるがごとく眺めていました。
アレに甘んじていないでしょうか。
その世界にいる自分たちに酔ってはいないでしょうか。芸能村の皆さんは。
日野皓正騒動は? 中学生が原因を作ったとはいえ、世界の日野皓正が我を忘れてビンタした。あれはダメで今回のは良い?
今回の騒動を報道する僕ら出版業界でも、同様のパワハラもどきは多々あります。それも良い原稿を書くためだと、言われればそれまでですが、果たしてそれで済んでよいものかという例を挙げてみましょう。
原稿をダメ出しする際、編集長が
・人格否定、人生を否定するぐらい人前で大声で罵倒する
・大勢いる前で、原稿をやぶり捨ててゴミ箱に捨てる
・「その窓から飛びおりろ」と強要
・殴る
などなど、挙げればきりがありません。切ったはったの世界?夜討ち朝駆けの世界?これも自分たちに酔っているかも知れません。甘んじているのかも知れません。
結果、心の病になる者、逃げだす者、多々います。
僕も「俺が新入社員のころはさ、」と言った覚えはあります。だからこそ上の立場になった時、それが出版業界の伝統であっても、僕だけはそんな真似はすまいと思ったものです。
CNNの「まだ世界的に名が知られていないが演技力のある日本の俳優七人」というのがありますhttp:/news.merumo.ne.jp/article/genre/1261124
因みに二宮和也、堺雅人、寺島しのぶ、安藤サクラ、吉高由里子、加瀬亮、木村多江です。
もちろん、恩師には厳しくしごかれたでしょう。が、土下座までされられてここまでなったのでしょうか。あるいは土下座をすることで世界に認められる演技が出来るのでしょうか。はなはだ疑問です。
今回の騒動は、何か鈴木砂羽をかばうというよりは、「俺たちがやってきた事は特別なんだ(※確かにそうなのですが)。外野はだまっていてくれ」という抗いがたい空気のようなものが、覆っていて物言えぬ雰囲気になっているのが問題の本質なのではないかと感じています。/文中敬称略/(久田将義)
≪参考文献≫
「女優激場」(ワニブックス)鈴木砂羽
激情家としてももともと有名でした。