▲岩路真樹ディレクターの自宅玄関ポスト。
後日、岩路真樹さんの関係者が集まる場があり、そこで亡くなる前後の様子のことについて話を聞いた。
「私、岩路さんと8月27日の夜に打ち合わせたんです。そのときはいつもの元気な岩路さんでした。『9月からまた福島の取材を再開するから』って。ところが、その翌28日に、ろれつの回らないしゃべり方で『体調が悪いので行けません』と会社に電話したそうです。その後は連絡が途絶えました。調べた結果、亡くなったのは28日だという話でした」(警察関係者が「29日死亡」だと話していることが某雑誌の記事にてわかった。おそらくそちらの方が正しいのだろう)
岩路さんは睡眠薬を飲んだ後、練炭の燃えている部屋でそのまま絶命したのではないだろうか。会社に電話をしたとき、ろれつが回らなくなっていたのは、そのときすでに睡眠薬を飲んだあとだったからかもしれない。
実は、筆者は岩路さんと今年の春以降、家族の問題について、やりとりを交わしていた。妻子と別れた者同士、意見交換し励まし合っていた。またその問題に関する記事を雑誌で書くために、体験を語ってもらおうと7月に取材を依頼していた。
ところがその依頼は断られている。
「先日もお話ししたように取材に応じるのは難しいと思います。今、まさに調停が進んでいるところであり、親権を争っています。微妙な時期であるということをご理解ください。日程的にも非常に厳しく僕はレギュラーで平日、仕事が終わるのは24時過ぎです」というメッセージが7月の半ば、岩路さんから届いたのだ。
調停とは裁判所が仲介して話し合い解決を目指すもの。このような離婚に関する調停は精神に深いダメージを与える。かつては愛し合った相手に対し、失点を追及するようなやりとりに終始し、罵り合いに発展することが珍しくない。また、相手方からやってもいないDVを主張されそれがそのまま認定されてしまったりする。そうしたことが続き、おそらく彼はかなり消耗したはずだ。
また平日の激務に加え、休日は取材に出かけたり、子どもたちに会ったりしていたからかなり疲れがたまっていたはずだ。さらには原発の闇を追及することでなんらかの圧力を受けていたということも考えられる。こうした重圧が彼にのしかかったことで、彼の心は折れ、衝動的に自殺してしまったのではないか。とはいえ、死に至ったとするにはどれも決定的な証拠に欠けている。
他殺の線はどうなのだろうか。ある週刊誌記者は言う。
「事件性はないですね。自殺です。しかも彼は一般人。事件性がないのにわざわざ一般人の死を報道する公益性はないと思います。だから、どの媒体も報じないわけです」
このコメントに加え、遺書を残しているという事実が他殺説を強く否定している。
だからこそ記事にならないということなのに、記事にならないということが憶測を呼び、一人歩きしてしまったのだ。
言い換えれば、他殺を疑われるほど岩路さんは食い込んで取材していたということだ。真摯な生き方を貫き通した岩路さんのことを筆者は知人として誇りに思っている。ご冥福をお祈りします。(了)
※「追記:「遺体発見は8月31日朝、検査医の見解によると死亡推定日は8月29日」だということがこの記事発表後に判明した」
Written Photo by 西牟田靖
【関連記事】
●「報道ステーション」名物ディレクター自殺の真相に迫る【前編】
●【カジノ法案】パチンコ利権争いで対立する自民党議員と警察庁の思惑