「資本主義が全て悪い!」(塩見孝也談)
司会・平野悠
出席者
鈴木邦男(評論家)
雨宮処凛(作家)
出所、そして北朝鮮へ
平野:元赤軍派議長、塩見孝也追悼対談ということで、お集まりいただきました。
鈴木:(机に置いてあった『塩見孝也〈元赤軍派議長〉「私だけが知る"過激派"の素顔」』を見ながら)でもね、こういう取材はかわいそうですよ、塩見さんがおもちゃにされているようで...。塩見さんって獄中でいろんな本を読んでいるんですよ、20年もいたんだから。でもね、宗教の本は意図的に読まないようにしていたと本人から聞きましたね。
塩見孝也〈元赤軍派議長〉「私だけが知る"過激派"の素顔」
よど号メンバーとの交遊秘録から知られざる"性事"活動まで、
という触れ込みで塩見氏がテレクラ、風俗、キャバクラなどに取材に行く様子が書かれている
平野:ハマっちゃうから?
鈴木:親鸞とか、ハマっちゃうからでしょうね。革命家としてやはり自分に対してタガをはめたのかな。だからね、こんなに真面目な塩見さんの性の問題っていう個人的なことを出すのはかわいそうですよ。
平野:でもこれはリスペクトして書いているからいいんじゃないかとは思うけどね。人間は最終的には性なんだよ、っていうことがあるよね。
雨宮:いちばん無防備な部分ですもんね。
鈴木:所詮、われわれと同じ人間と思われるでしょう......でも塩見さんはわれわれとは全然違うよ。そのへんの連中とは違う男だよ。
平野:雨宮と塩見さんの出会いはいつ頃になるの?
雨宮:98年に開催された、塩見さんのイベントですね。当時、わたしはフリーターで人生に迷っていたんです。迷っていたからこそ、「世界同時革命だ!」って言ったり、火炎瓶を投げて政治と戦っていた世代の人に話を聞けばヒントをもらえるかなと思って参加してみたら、塩見さんがすごいテンションで演説をしていて、イベントが終わったあとに、初対面のわたしに「とにかく平壌に行こう」って誘って来たんですよ。そんなとんでもないことは人生に滅多にないから、もちろんOKをして(笑)。99年に初めての海外旅行で北朝鮮に行ったんですよ。
一同:笑
雨宮:だから塩見さんのせいで人生がめちゃくちゃにねじ曲げられました(笑)。
鈴木:僕は、ずっと塩見さんの名前は知ってはいましたけど、出会いは河合塾での「左右激突討論会」というイベントでしたね。左翼と右翼の両極端の人間が集まって、お互い敢えて相手の欠点を探り出して戦うという内容でした。それを何回もやったんですよ。振り返ってみると、世界の革命家に対して失礼だったなと申し訳ないです。
平野:初対面の印象はどうでした?
鈴木:20年も獄中にいて、さぞ打ちひしがれただろうと思ったら、全くそんなことはなかったですね。僕らが学生の時に出会っていたら大変だったと思いますよ。よど号の人たちや連合赤軍の人たちもそうだけど、活動をしていたころから何十年もたっているから話せたんですよ。
塩見さんもそうだけど、上垣さんとか、赤軍の田中さんだとかね、いい人もいるわけですよ。そういう人と学生時代に出会って意気投合していたら、僕なんて簡単に連合赤軍になったり、北朝鮮に行ったりしてたでしょうね。だから何十年も後になってから出会ってよかったですよ。
連赤の人たちとは一緒に活動をしようとは思わないじゃないですか、距離感があるからこそ自由に話し合えることはいっぱいありました。塩見さんにも、ほんとうはもっと考えを教えてもらいたかったですね。
平野:僕は学生時代に何回か会ってるんだけど、彼は三派全学連の学生部長で学生を指揮していたからほとんど会うことはなかったんですよ。僕は労働戦線に行っていたから。だから、出所してから突然電話があって「おい、ロフトプラスワンに出るぞ」って(笑)。
鈴木:あははは、出るぞってすごいな(笑)。
平野:しょうがないな、じゃあ誰と組ませようかなと思ったときに、だめ連(註1)がいいなと思ったんだよね。彼らなら、塩見さんを素朴に尊敬してくれそうだから。そしたらイベント中に質問がたくさん来ちゃって、塩見さんは「おれの話を聞いてくれるやつがこんなにいる」と感動したんだよね。
だってね、出所の日に誰も迎えにこないし、世界は何も変わっていない。奥崎(謙三)さんの状況と同じですよ。奥崎さんは、自分の出所の日をみんなが歓喜の声で迎えてくれて、テレビにも出ずっぱりになって......と想像してたわけですよ、でも現実は正反対だった。
同じように塩見さんだって少しは期待したと思いますよ。奥さんからも言われたもんね、「うちの塩見を頼みます」って。潜行中の滝田修からも「俺はいま逃げ回っていてダメだから、塩見を頼む」って言われたんだよ。だから彼に気を使ってくれている人はそこそこにいたけど、もう一回運動をやろうっていう人はひとりもいなかったね。
雨宮:そりゃそうですよ(笑)。
平野:僕はそのころ『風』っていう店の常連 組織を作って学習会なんかもやってたの。そこに塩見さんが毎回来て演説するんだよ、もうまいったな、このおじさんって(笑)。でも結局、『風』の連中をほとんど引き連れて学習会を出て、自分の団体を作ったんだよ! まぁいいんだけど。
雨宮:もしかして、それが『自主日本の会』!? わたしもあの会に入れられた。
一同:笑
鈴木:これが北朝鮮に行く『白船訪朝団』になっていくわけですね。
平野:もう一発みんな飛躍したいんだったら塩見さんについて行ってもいいんじゃないって思って見てたんですけど、最後はかの「乱入事件」で......。
鈴木:ああ、『ロフト公安事件』(笑)。
塩見孝也、ロフトプラスワンに公安を呼んで大騒動
平野:『ロフト公安事件』で塩見さんは失態を演ずるわけですよ。ロフトプラスワンにわけのわからない右翼組織から「塩見孝也を殺す」っていう予告FAXが届いたんですよ。俺はおもしろいから「来るなら来いよ」って思ってたのに、塩見さんは本気でビビっちゃって。防衛隊を作って、警察にも相談して、ロフトプラスワンの入り口で一人ひとりをチェックしはじめちゃったの。
雨宮:そうだそうだ、あの日はみんながすごい怒ってた。
平野:その日、僕はコマ劇場で北島三郎ショーを観てたんだけど、ロフトプラスワンに帰ったら防衛隊が住所と氏名を書かせて写真まで撮ろうとするし、中に入ったら鈴木さんが壇上で「塩見! 許さない! 公安は帰れ!!」って激怒してるし、警察だって塩見さんに頼まれて来てるのにさ(笑)。もうね、何が起こったのかワケわからなくて大騒ぎだったの(笑)。あんなFAXにビビるなんて考えられないよ。
鈴木:20年間も刑務所にいて、拘禁症の影響があったんでしょうね。
平野:「自分の身を守るのに権力を使うのは当たり前だ」っていうのが塩見さんの言い分だったんだけど、うち(ロフトプラスワン)は警察は絶対に入れない、自分たちで解決するっていうのが基本だったから、まさか塩見さんが警察に相談してるなんて驚いたね。お客さんもひいちゃったし、俺も「塩見断絶宣言」をRooftop(※ロフトプロジェクトが発行しているフリーマガジン)に掲載したから、結局また塩見さんはひとりになっちゃって。
鈴木:その頃の塩見さんの心理状態を、僕らももう少し考えればよかったですよね。20年間も刑務所に入れておいて、「刑務所で警察は俺を殺す気だろう」と思っていたのに刑期を終えて外に出てきてしまったわけで、「自分をどこかで抹殺しようとしている人がいる・革命をこわがっている人がいる」と自意識が過大になっていたんだと思いますよ。いつテロが起こるかもしれない、と。
雨宮:あのイベントの少し前くらいから、塩見さんの事務所にいたずらのFAXが来たり、落書きをされたりしていたんですよ。それで自分を狙っている人がいるっていう気持ちが盛り上がったんでしょうね。わたしもそのイベントに訪朝報告ということで出ていたんですけど、お客さんだったらびっくりしますよね。入り口で写真をとられるなんて。
平野:前代未聞ですよ。鈴木さんは面白がってたけど(笑)。
雨宮:あ、その頃わたし右翼だったんだ。だから公安がどういうものなのか、あんまり分かってなかったんですよ。でもみんながすごい怒っているのを見て、塩見さんはとんでもないことをやらかしたんだなっていうのは分かったんですけど、それよりもオッサンたちがものすごい剣幕で怒鳴りあっているのを見て、もう誰が悪くて何が起こっているのかさっぱりわからなかったですね。
平野:とにかくみんなすごい怒ってだよね。
清瀬市議に出馬
「赤軍派もいる明るい清瀬」
平野:塩見さんが出所してからのもうひとつの失敗は選挙かな(笑)。
雨宮:15年の清瀬の市議会選挙ですよね。
鈴木:平野さん、選挙の相談を受けたんでしょ?
平野:俺が「鈴木さんを応援演説に連れて行くから」って塩見さんに言ったんだよ。これだけ塩見さんをおもしろがっているのに、選挙に応援にこないなんて許さない!って(笑)。
鈴木:そりゃ行きますよ(笑)。
雨宮:この3人、みんな塩見さんの応援演説に行ってますもんね。でも選挙事務所に行ったら「赤軍」「獄中20年」っていうノボリが立っていて、それを見た瞬間に、受かる気ないんだって確信して(笑)。だから「赤軍派もいる明るい清瀬!」とか「清瀬から世界同時革命を!」とか全員フザけてましたよ。わたしも、「獄中20年の確かな実績!」って言いましたもん(笑)。
平野:塩見さんだけが本気だったんだよ。
雨宮:赤軍っていう旗を持って、ヘルメットかぶった人たちが練り歩いても逆効果でしかないですよ。
鈴木:最初のうちは真面目にやってたんだよね。でもスタッフ同士が喧嘩になっちゃって、それでもうヤケだから赤軍の旗も出してしまえ! と(笑)。ゲバラの旗が立っている事務所なんてすごいよね。
平野:でもね、清瀬の他の党をつぶしていけば受かる可能性もあったよね。
雨宮:つぶせなかったと思いますよ(笑)。
平野:そう思うとさ、やっぱり「塩見孝也は偉大なり」っていう総括になるよね。
鈴木:僕はそう思いますよ。でも、みんながいじってたでしょ。
平野:一番いじってたの鈴木さんだよ(笑)。
鈴木:でも真面目に話し合ったこともあるんですよ。塩見さんは憲法を守るとか9条を守れとか言っているけど、もともとは日本革命をしようとしてたでしょ? って。
平野:そうそう、あの人が9条の会に入ってたこと自体がわからなかったよ。
鈴木:今の天皇制を守る気はないでしょう? って聞いたら、「最終的にはそうだけど、今はここしかないんだ」って言ってましたね。「最終的には今の天皇制を廃止して大統領制にすべきだ。最初は中核派の本多(延嘉)を初代大統領になってもらう」って。自分は二代目になるつもりだったんじゃないですか。塩見さんはいろんな思想を持っていたんですよ。でも発表する場がなかったんですよね。イベントでもおちゃらけなことしかできなくて。
平野:9条の会でも、脱原発テントでも、塩見さんはまわりから浮いちゃって放逐されちゃうんだよな。
雨宮:結局、こっちにも来たんですよ。わたしが反貧困活動をはじめたころに、「やっと俺の言っていることが分かったか」って(笑)。
一同:笑
雨宮:俺の思想が届いて右翼が治って労働のことが分かったらしい、雨宮は俺が育てた!って思い込んでる感じで。そしたら、「もう世界同時革命しかないから会おう」って言い出してしょっちゅう電話がかかってくるんですよ。でも、明らかに若い人たちの労働運動をのっとって世界同時革命をしよう、っていう魂胆がバレバレだから会いたくないじゃないですか(笑)。
うちは世界同時革命じゃないんですよ、って説明をして会うのを断っていたら、塩見さんが本気で怒って、「マルクスも読んでいないくせになんだ、俺はお前を左翼とは認めない」って言われちゃって。そんなマルクス読むとか資格が必要ならそんなもん願い下げだ! と思って。
平野:むちゃくちゃだな(笑)。
駐車場の管理が転機か
地に足がつき始めた......と思いきや
雨宮:でもその直後に、塩見さんはシルバー人材センターでショッピングセンターの駐車場管理の仕事を始めるんですよ。そしたらやっと、世界同時革命とか人民とか労働者とか大きなことばかり言わなくなったんです。
自分が時給制で働いて、ショッピングセンターに来る人たちは週末には買い出しに来たり、一緒に働く人は年金生活だったりっていう普通の人たちの生活を知って、地に足がついたことを言い始めたんです。シルバ人材センターって労災が適応されないとかいろんな問題もあるから、相談にのってくれって連絡が来たんですよ。
平野:なるほどね。
雨宮:それで、わたしが入っているフリーター全般労働組合を紹介して、一時は「シルバー人材センターユニオン」を作ろうって話にもなってたんですよ。素晴らしいことだから応援していたのに、塩見さんはこれを利用してまた「最終的には世界同時革命」って言いだしちゃって(笑)。
一同:笑
雨宮:だからもうね、コイツ全然懲りてない! ってびっくりしました(笑)。
鈴木:居場所がなかったんですよね。僕らも責任があるでしょうけど、でもかわいそうでしたよね。運動家という立ち位置を超えてもらって、本を書いてもらうのがいちばん良かったんでしょうね。
平野:鈴木さんの誕生日イベントで、足立正生監督と塩見さんケンカしちゃってね。足立さんから「連合赤軍事件と自分は関係ないなんて言うんじゃなくて、全部背負え」って言われたんだけど、塩見さんは「その時期に自分は監獄に入っていたし、そんなこと知らない。
なんであんなバカな屋号を組んだんだ」ってしか言わないわけですよ。でもみんなは「お前は赤軍議長だろ、そこも含めて総括しろよ」って思うわけ。そしたら塩見さんが足立さんに向かって「お前に言われる筋合いない」って言っちゃって一触即発。まぁでも、塩見さんが連合赤軍の総括までする必要があるのかっていうのはひとつの論争になるよね。「お前が作った暴力組織だろ」っていう視点もあるし、塩見さんにとっては自分がいなくなってから勝手に殺し合いをしたっていう気持ちだっただろうし。
鈴木:真面目すぎるんですよ。全ては俺のせいだっていう大きな視点で考えれば良かったんですよ、でも傲慢に思われるのがいやだったんでしょうけど。
平野:ブントだけは本当にいい加減な組織だから。それで混乱して赤軍派は分裂していくんですよね。個人情報保護法の運動にも巻き込んだけど、結局は浮いちゃってさ。塩見さんはリーダーシップがとれないんだよ。インテリに一発で論破されちゃうから。
鈴木:やっぱり元赤軍派議長っていう名前も大きかったんでしょうね。
平野:興奮すると他者を寄せ付けない雰囲気を作っちゃうんだよね。
雨宮:夢を捨てないロマンの男ですからね。でも駐車場管理の仕事を始めてから謙虚になったんですよね。それまでは、どこに来ても自分が演説をしなければ気が済まなかったのに。
一同:笑
生きづらい若者たちが集まりはじめる
雨宮:シルバー人材センターで働くようになってからはしょっちゅう貧困系のデモにも参加者としてまざってくれて、すごく照れながら「自分もいち労働者として参加をしているんだ」って言っていました。
でも、塩見さんってすごい功績もあるんですよ。2010年に生前葬をやったじゃないですか?(※過去の己に一つの区切りをつけ、「地上に足を着けた人」になるという葬儀)そのときに、ひきこもりの人が「俺は駐車場管理人」っていう自作のラップを作ってきたんですよ。その頃から、塩見さんのまわりに、生きづらい系の人たちが集まるようになったんですよね。なんでかって言うと、もともとわたしも自殺志願者だったけれど、塩見さんを見ていると「ちゃんと生きよう」っていう気がまったくなくなるんです。
平野:あはははは(笑)
雨宮:塩見さんって、獄中20年だし、破防法も適応されて、未だに世界同時革命って言っていて、60代なのに厨二病を患っている働いていないおかしなおっさんだから、一緒にいると「こんなに適当に生きていけるなら自分も大丈夫じゃないか」って思えるんですよ。
鈴木:なるほど。
雨宮:それで、生きづらい若者が何を相談しても「そうか、それは全部資本主義が悪い」っていうワンフレーズしかないんですよ。他の大人に相談をすると、「お前のせいだ」「頑張りが足りないからだ」「自己責任だ」って言われるけど、塩見さんだけはなんでもかんでも「資本主義が悪いんだ」ってことにしてくれるから。全然お前は悪くない...って。
平野:全部資本主義が悪いんだ、と(笑)。
雨宮:そうですそうです。しかも名前が大きいから余計に効果的で。元赤軍派議長に「お前の悩みは全部資本主義のせいだ」ってお墨付きをもらえるわけですよ。これはもう塩見さんにしかできない芸当なんです。そうするとみんな元気になっちゃって、冗談半分で「世界同時革命だ!」なんて言って元気になっちゃって。
鈴木:それはいいことですよね。ロフトプラスワンでも塩見さんが出演した自殺志願者が集まるイベントがありましたよね。塩見さんの力もあっただろうし、そのイベントで結婚して子どもを産んだ人たちも知っていますよ。あのままだったらふたりが地球から消滅するはずだったのに、いまは3人になっている。死にたいと思うということは、本当は生きたいんですよ。だから人に悩みを相談したり、集まったり。そういう場所が減ると座間の事件みたいなことが起こったりするんです。
雨宮:自殺するより、塩見さんのまわりで「世界同時革命だ!」って言ってたほうが楽しいんですよね。そのうちになんとなく、生きづらい若者たちが塩見さんのまわりにいて、生活のことがなにもわからない塩見さんを支えるっていう図式になっていたんです。
本人は本気で「資本主義が悪い」って思っているけど、でも本人の意図していないところで若者たちを救っていたんですよ。普通ならありえない救い方をしてくれますからね(笑)。
鈴木:だから塩見さんにはどっしりと教祖としてでも、若者たちと関わっていてほしかったですよ。人間国宝にしてもらって(笑)。
一同:笑
雨宮:塩見さんの入院中も、最後まで支えてくれていた若い人がいるようで、塩見さんは幸せだったと思いますよ。もう運動家の人脈じゃないんですよ、生きづらい系のつながりも大きかったですから。
平野:平野:ああ、そうか......。考えてみれば、鈴木さんも選挙以来、塩見さんに会っていないでしょ?
鈴木:そうなんですよ、お見舞いに行こうと思ったら「もう明日退院するみたいですよ」って聞いたので。
平野:僕も行くしかないなって思ったけど、本人から「退院したよ」って電話も来てたから安心してたんだけど、急だったな。でもいまの雨宮の話を聞いてほっとしたよ、最後まで懐いている人がいたんだな。
雨宮:愛されていたと思いますよ。
平野:はじめて塩見さんのいい話を聞いたよ(笑)。
雨宮:確かに現代は資本主義が悪いですからね。
平野:はずれてはいないよね、ピントは合っている。
鈴木:週刊誌で連載をやるっていうのもなかったのかな。
雨宮:塩見さんの思想系の文章って難しいじゃないですか、普通の人はとても読めない。だから書いてもダメ、喋ったらアジる......
平野:あはははは(笑)。だから発言場所を求めてうちに来たんだよな。
雨宮:でも意図しないところで人を救うっていう最強のお笑いキャラではありましたよね。ただかっこつけだから、笑われたりするのイヤがるんですよね。本気で尊敬されないとイヤだから(笑)。
塩見孝也御一行、イラクヘ
鈴木:"日本のレーニン"っていうフレーズだって誰が言い出したんでしょうね。
平野:そんなの鈴木さんでしょ。
鈴木:いや、本人から「俺のこと"日本のレーニン"なんて言うやつがいて、困るよなぁ」って形でしか聞いたことないですよ。
平野:俺は鈴木さんからしか聞いたことないよ(笑)。
雨宮:そういえば、この3人とも一緒にイラクにも行ってるんですよね。
平野:木村三浩さん(一水会代表)が先導して30数人くらいですごかったよね。
鈴木:大川興業も行ったしね。
雨宮:イラクで塩見さんは注目されましたよね。やっぱり「レッドアーミー」って言ったらみんな感動するわけですよ。でも「モサド(世界最強のスパイ組織)」が動いて飛行機が打ち落とされるんじゃないかって心配しましたよ。
鈴木:えっ、そうなの(笑)。
雨宮:そりゃそうですよ、塩見さんと一緒に飛行機乗ってイラク行くなんて、打ち落とされてもしょうがないじゃないですか(笑)。
平野:だって赤軍派元議長ですよ。しかも右翼の鈴木邦男も乗ってるっていうんだから。
雨宮:むしろ日本の未来のために撃ち落としたほうがいいんじゃないかって(笑)。
鈴木:撃ち落とされたら英雄になったかなぁ。
雨宮:縁起でもない、やめてくださいよ。それで飛行機の中で塩見さんがタバコを吸おうとして、客室業務員とモメるっていうどうでもいいトラブルを起こして。最後にはイラクの秘密警察にも捕まったじゃないですか!
鈴木:あれ塩見さんが原因だったの?
雨宮:そうですよ! しかも、10万円をイラク・ディナールにかえたら抱えきれないような量になっちゃって、塩見銀行をやったりして。
平野:ひどいもんだよな(笑)。でも面白い人だったよな。
雨宮:楽しい思い出しかないですもん。
平野:でも彼は一体何を遺したんだろう。
雨宮:「資本主義が悪い」っていう名言ですよ。
鈴木:獄中の話もどういう風に考えていたのか知りたいよね。日記をつけていたはずだから、それは本にするべきだよ。「塩見孝也名言集」を作らなくちゃ。
平野:遺品整理しに行きますか。
鈴木:だけど 『実録・連合赤軍』(註2)を観ると、塩見さんはかっこいいじゃないですか。相当な運動をやってきた人なんだろうなとは思いますね。最初に出会ったときは怖かったですから。
平野:鈴木さんが怖いなんてありえないでしょ(笑)。
鈴木:いや、当時の塩見さんはやっぱり怖かったですよ、日本のレーニンですから(笑)。
「知らないのに『全共闘運動世代が悪い』っていうガキがいますけどムカっときますね」(鈴木邦男)
平野:(塩見孝也さんは)この世の中でも、最後まで革命って言い続けた珍しい人だよな。だって革命って言葉なんかもう全然聞かないもんね。最後まで真剣に革命なんて言っていたのは塩見さんくらいしかいないんじゃない?
でも、あの人がやってきたことは「よりラジカルに」っていう戦略で人を惹きつけただけで、世界革命だなんだっていう内容で惹きつけたわけじゃないと思うんだよ。理論家ではないよ。他の人が武装闘争に焦燥感を持っていろんな権力にぶちのめされた時に、塩見さんたちみたいな、よりラジカルな方に惹きつけられるもんなんだよ。
鈴木:でも、塩見さんは現実ではダメだったかもしれないけど、ずっと運動をやり続けて、理念の世界では勝利をした人だと思いますよ。そういう人たちは魅力的に感じますね。
よく、当時を知らないのに「全共闘運動世代が悪い」っていうガキがいますけど、ああいうのはやっぱりムカっときますね。展望がないけど、毎日運動をやっていた人は、何もしなかった人よりも偉いと思いますよ。実際、学生運動をやっていた人っていうのは全体の1割くらいしかいないわけですよ、圧倒的に無責任・無感動な連中が多かったんです。
僕らの中にも、遠巻きに左翼活動家の顔写真を撮って警察に売るような人もいて、そういうのは許せないんですよ。だって、思想が違えど同じ学友ですよ。鈴木は甘いって言われましたけど、敵だから抹殺しろという人は自分の味方とは思わないし、それならむしろ左翼として戦っていた人のほうが信用できますね。塩見さんは信用できる大きな敵でした。だから、もったいなかったですよ、我々がきちんとした発言の場を作ってあげられなかったのは申し訳ないと思っています。
雨宮:わたしは最初の海外旅行が塩見さんに誘われた北朝鮮だったんですけど、あの時に強引に誘われなかったら海外旅行なんて行かないままだったと思うんですよ。
自分の視野が広がったことにはすごく感謝しています。あと、人生に悩んだ時期に「こんなにめちゃくちゃに自由に生きてもいいんだ」って思わせてくれた人でした。死ぬ時まで一回も革命の意思を曲げたことがなかったと思うんですけど、死ぬ瞬間まで理想を追い求めて、まわりからバカにされようと笑われようと続けていて、結果的に意図せぬ形とはいえいろんな若者を救う......。そこには、強さを感じました。打算がない愚直な塩見さんに若者たちが共感をしたのだと思います、人の生き方としてはスジが通っていましたね。
鈴木:ぜひ塩見孝也の本を書いてくださいよ。「わたしの愛した塩見孝也」ってタイトルで。
雨宮:愛してないですし!
鈴木:広い意味の愛ですよ。
雨宮:ああ、広い意味の......。塩見さんがインターネットを始めたときに、出会い系迷惑メールの「わたしを抱いてください」とかを間に受けちゃって、「最近の女性はこんなに解放されているのか」って驚いてましたよ(笑)。
一同:笑
雨宮:「女性が解放されている」っていう言い方も塩見さんらしいなと思って。
平野:でも生きづらい若者を救っていたっていう姿は知らなかったな。
雨宮:死にたいってSNSに書き込んだらすかさず「お前のせいじゃない、それは資本主義が悪いんだ!」ってAIとかで返信してほしいですよね。
鈴木:そりゃいいですね。自殺も減りますよ(笑)。
平野:じゃあ「わたしが愛した塩見孝也」という本を出すということで。
雨宮:みんなが塩見さんについての思い出を語るっていうのにしましょう。
鈴木:歴史的にも価値がありますよ、やりましょうやりましょう!
平野:やっぱりね、塩見孝也は間違いなく「ひとつの時代」を作ったと思いますよ。(文中・敬称略)
(註1)だめ連 ・・・ 1992年に神長恒一とぺぺ長谷川が始めたゆるやかな共同体。「働かないで生きるには」「恋愛しなくても楽しく生きたい」など、資本主義的な価値観にとらわれない生き方を模索した。
(註2)『実録・連合赤軍』 ・・・ 2008年公開の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』。監督は若松孝二。坂口拓が塩見孝也役を演じている。