中川淳一郎の俺の昭和史

小学生がエロ本を求めてさまよっていた時代|『オレの昭和史』中川淳一郎連載・第九回

2018年01月23日 

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ミニストップが全国2200店舗で成人雑誌の販売を中止した。このことが発表された昨年末、ネットでは表現の自由派、フェミニスト、成人雑誌愛好家、子供の人権を考える人々などが入り乱れて激論が交わされた。

まぁ、女性が嫌がる、というのはさておき、男の子供についてはどうやってもエロいことに興味持つのは仕方がないことではなかろうか。どちらにせよ、エロ本がミニストップにあろうがなかろうがネットでいくらでもエロ画像やエロ動画は見ることができる。ただ、エロ本を作ってる人間からすれば販路が失われてしまうのは痛いことだろう。

さて、そんな議論にはまったく興味がないが、郷愁を呼ぶのは昭和のエロ本とガキをめぐるトホホな喜びと駆け引きと背徳感である。早い者は小学4年生、そして多くが小学5~6年生の時にエロ本に目覚め始める。

しかしながら、自分で買うのではなく、基本的には父親や中高生の兄が持っているエロ本をこっそり読むのだ。中にはエロ本のブランド名をスラスラと言える者もいたが、私はエロ本を発見した場合は表紙なんて見ている余裕はない。ひたすら中にある裸を見つつエロ漫画を貪るように読んでいたため、タイトルはまったく覚えていない。ただし、連載漫画で一つだけ覚えているのがあった。

『やったれ一発』という「一発」という名前の男が、女ととにかく一戦交え続けるというだけの漫画なのだが、クラスでそのエロさが評判となっていた。私もいつかは読んでみたいと考えある日、竹林で発見したエロ本の中に同作があり、初めて読むに至ったのだ。今でも覚えているのが、左側のページにドーンとバックで挿入する主人公の「一発」が出てくるコマである。その『やったれ一発』、今見たらなんと単行本も電子版も売っているではないか! 今更読もうとは思わないけど。

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昭和のエロ本はなぜか竹林や雑木林、橋の下に捨てられていることが多かった。私が『やったれ一発』を読んだのも竹林である。多くは雨で塗れており、ガビガビになり、もはや写真も黄ばんでしまった状態のものも多い。

これらを見つけた時、一人で読むのは恥ずかしいため、友人を呼ぶ。「おいおい、エロ本があるぞ」と声をかけ、皆で読むのである。こういった時に一人だけで読んでいる姿を見つけられると「やーいやーい、お前エロ本読んでやがって!」とはやされるので、こうした自衛策を取るのだ。


エロ本編隊を結成、いざ異国へ


さらに、当時の小学生がエロ本にかける情熱はすさまじいものがあった。当時、自転車で学区外に行くには名目上は学校の許可が必要だった。そんな申請をする者など皆無ではあったが、それでも学区外に行くのは若干の冒険感覚があった。我々東京都立川市立立川第八小学校5年5組の男軍団は、立川市内のより田舎方面である北側へ行くことは何の躊躇もなかったが、駅周辺の南側には恐怖心を持っていた。

何しろ当時は不良が多かったのと、南側に戦闘力の高い小学校が多数あるとされていたのである。だが、最高のエロ本収集場所はその危険地帯をさらに南下した多摩川にかかる「日野橋」の下で、そこには大量の新しい"非ガビガビ"のエロ本が捨ててあるという噂があった。オレ達も夢の国・日野橋下へ行きたい! そこで、他校の連中との戦闘を回避すべく、それらの小学校を通らないルートを決める会議を誰かの家で行うのだ。

準備が万端になったところで、とある日の放課後、学校から一旦家に帰り、自転車にまたがって我々は集結。12台の一大変態ならぬ編隊(飛行機じゃないけど)を組み、いざ日野橋に向かって決死の自転車ライドを開始するのである。

ドーンと広がる「立川WILL」(現在はLUMINE)という百貨店を右に回り、JR中央本線の下を通る暗い道を通った先は魔窟・立川駅南口である。競馬の場外馬券場や飲み屋にキャバレーが軒を連ねるエリアだ。ここを越えるとすっかり「敵」の本拠地である。「ここから先は1小と7小のヤツに気をつけろよ......。ここはヤツらの縄張りだ」とすっかりギャングの抗争気分である。

ここを越えるとあとは多摩川まで一直線。広大なる河原に出て、目指す日野橋は土手を上流の方に少し走ったあたりだ。

ついに夢の日野橋に着いた! と思ったらなんと、他の小学校のエロ本ハンター連中がいるではないか! そいつらはその場で読むのではなく、持ち帰ろうとしている! 彼らは一小か七小のヤツか? 或いは戦闘力がどれほどかは分からぬ隣の日野市のヤツらか?  こういった状態になる時、相手方の番長格のヤツがかならず言うセリフがある。


「お前ら、何年だよ?」


我々は5年生だったのだが、ナメられてはならないと思い、この場合は「6年だ」と言うのが常であった。すると相手は「ふーん、そうか。まぁ、オレ達がもうこのエロ本は取ったからな。まぁ、見慣れないヤツらだが、少しは残してやったからな」と言う。

一応、格上そうなヤツらからの許可をもらい、我々はエロ本を貪るように読み、そしていつしか日は暮れた夕方6時半に。「5時までに帰ると言ったでしょ!」などと母親から大目玉をくらうクラスメイトも何人かいたのであった。今の小学生が聞けばアホか? と言いたくなるような思い出だが、昭和の小学生はエロ本にここまでのパトスを持って臨んでいたのである。


文◎中川淳一郎

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