国会前の安保法案反対デモに参加してスピーチを披露した結果、一部で評価が上がったり、逆に一部で叩かれたりもしている石田純一。それまでのパブリックイメージにない政治的な活動の余波がどれだけ大きくなるか痛感させられた次第なんですが、実は昔から石田純一はそういう人だったんですよね。
彼の自伝『落ちこぼれのススメ』(00年/光進社)情報によると、「テレビだって重要なスポンサーである電力会社やゼネコンの追求はあえてやらない。ぼくが報道番組のキャスターを引き受けたことも、少しずつでいいから、こうした見えにくい問題を勉強したり、報道していきたいという志があったからだ」とのことで、彼が97年にテレビ朝日『スーパーJチャンネル』を担当していた裏には、そんな理由があったことが判明。
さらには「この文章を書いているときに、茨城県東海村の核燃料工場で事故が起こった」ため完全にスイッチが入り、「核爆発及び漏洩の危険性、あるいは核廃棄物の安全性、管理などが確固たる保証もないまま、利権がらみのごり押し原発推進は、今や世界でも稀な政策で、ほとんど狂気の沙汰としかいいようがない」「この『くに』の黒幕は誰だ」などと吠えまくるわけですよ!
「今、真剣に環境問題に取り組みたいとぼくは思っている。そして、ぼくの発言に、だれか一人でも耳を傾けてくれ、問題意識を持ってくれたらいいと思っている。こういう社会的な問題について何かを発言したり、関心を持っていると、俳優らしくないといわれる。何も芸能人がそんなことを考えたりいわなくても、いいんだよ、と世間からいわれる。でも、ぼくは芸能人である前に、この地球上に生きている一個の生命体だ。ぼくは、自分自身の問題として、環境問題をつねに気にかけたいと思っている」
ここまで熱く環境問題について熱く語った次のページで「ぼくはゴルフが好きだから、ゴルフというゲームや、歴史、ゴルフを通した人とのつきあいで、学んだことが少なくない」と、ゴルフについて熱く語り始めるから、そういう隙の多さも実に石田純一なわけです。
ちなみに彼はその後、不倫によるバッシングで『スーパーJチャンネル』降板へと追い込まれるんですが、「それにしても今度、叩かれるときはプライベートのちまちました事ではなく、天下国家を左右するような、もっと重要な問題で叩かれたいものだ」と言ってたのがまさに予言みたいだったってことと、97年当時の『スーパーJチャンネル』の司会者が石田純一&田代まさしだったという事実が、いまとなっては衝撃的すぎました。
Written by 吉田豪
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