『NHK紅白歌合戦』の司会者といえば、ある意味においてアーティストよりも番組の要となるポジションです。今年は総合司会にNHKの女性アナウンサーである桑子真帆アナが抜擢されて、大きな話題を集めました。
そこで、これまでの『紅白歌合戦』司会者の歴史を、女性アナウンサーという視点から振り返ってみましょう。
まず、『紅白歌合戦』の歴史のなかで、初めて司会を担当したのは本田寿賀アナです。昭和28年の「第3回」の放送において、紅組の単独司会に大抜擢されました。
この当時の女性アナウンサーは男性アナウンサーの横に立つだけの"添え物"のような扱いであり、大きな番組、ましてや看板の『紅白歌合戦』を任されることは異例のこと。このときの本田アナは朗読の実績を買われた結果の抜擢だったそうで、とにもかくにも、彼女が『紅白』に最初に名を残した女性アナウンサーということになります。
その後、女性アナウンサーにとっては不遇の時代が訪れます。
本田アナに続いて女性アナが『紅白』の司会を担当するのは、昭和61年の「第37回」の放送です。実に30年以上の月日が経過して、ついに『サンデースポーツ』などのスポーツ番組で人気だった目加田頼子アナが赤組の司会に名を連ねました。とはいえ、このときの彼女は、同じく紅組の司会だった斉藤由貴のサポートという役割。単独司会の本田アナとは異なり、やや地味なポジションでした。
しかし、その2年後となる昭和63年の「第39回」では、7時台の『NHKニュース』や『歌謡パレード'88』で「局の顔」となっていた杉浦圭子アナが女性アナで初めて単独の総合司会に抜擢されます。しかも、杉浦アナはこのときの活躍が認められ、翌年の「第40回(昭和64年)」でも進行役(総合司会は松平定知アナ)を務めることになりました。
この杉浦アナを皮切りに、森田美由紀アナ(第44回 総合司会)、草野満代アナ(第46・47回 総合司会)と続き、徐々に女性アナウンサーの起用が見られるようになっていきます。
そして、平成10年には大きな転換点を迎えます。
この年に放送された「第49回」において、『ニュース11』のスポーツキャスターとしてお茶の間に絶大な人気を誇っていたクボジュンこと久保純子アナが、紅組の単独司会に抜擢されたのです。この紅組単独司会の座は、「第3回」の本田アナに続いて史上2人目となる快挙。このクボジュンの司会は視聴者たちに受け入れられ、平成10年の「第49回」に続き、「第50回」と「第51回」と3期連続で紅組司会を担当することになりました。
このクボジュンの活躍により、『紅白歌合戦』の司会に次々と女性アナウンサーが抜擢されていくのです。
例えば、クボジュンの翌年となる「第52回(平成13年)」に紅組の単独司会を務めたのは、気さくなキャラクターで老若男女から愛されていた有働由美子アナです。彼女は「第53回(平成14年)」でも紅組単独司会、「第53回(平成15年)」でも膳場貴子アナとコンビで紅組司会を担当しています。その後には、「第63~66回(平成24年~27年)」の4期連続で総合司会に抜擢され、クボジュンに続く"紅白アナ"の代名詞的な存在として名を残すことになりました。
そのほかにも、
「第54回(平成15年)」...竹内陶子アナ(単独総合司会)
「第55回(平成16年)」...小野文恵アナ(単独紅組司会)
「第57回(平成18年)」...黒崎めぐみアナ(総合司会)
「第58回(平成19年)」...住吉美紀アナ(総合司会)
「第59回(平成20年)」...小野文恵アナ(総合司会)
と、ほぼ毎年のように女性アナウンサーが『紅白歌合戦』の司会の座を手にしています。
このように、『紅白歌合戦』の歴史において、女性アナウンサーは不遇の時代を乗り越えてきたのです。今年は錚々たるアーティストや芸能人だけではなく、ぜひとも女性アナウンサーの活躍にも目を向けてみてください。
取材・文◎百園雷太
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