親黙り、子黙り「お兄ちゃんは木の間に入っていって見えなくなった」|川奈まり子の奇譚蒐集二五(上)

ともあれ、少年はTシャツにハーフパンツ、ゴム草履で、大型の懐中電灯を持っていた。祥吾さんたちが部屋の外に出ると、先に立って歩きだしたが、日中に海水浴場に行ったときとは違う道を行こうとする。

「こっちじゃないんですか?」

「……近道なんです。3分もかからないと思います」

そう言って灌木や葛の繁みの間に入ってゆく。祥吾さんは懐中電灯を持っていなかったが、ここはまだ宿の敷地内で、庭や通路の随所に据え付けられた常夜灯の明かりが届いているため、足もとが見えた。

とは言え、かなり薄暗い。確かに、少年について行ったら繁みの隙間に幅の狭い階段があったが、うっすらした不安を感じた。名前さえ、さきほど知ったばかりの他人を簡単に信用しすぎたのではないだろうか……。

幸い少年の言葉は嘘ではなくて、あっという間に浜辺に到着した。人気がまったく無く、真っ暗なので別の場所のようだが、懐中電灯で照らされた売店や監視員の櫓などに見覚えがあった。

「そこで夜光虫を見物したわけですが、家族と一緒の写真を撮ってもらうために僕も後から海に入ったときに、後ろから誰かにギュッとしがみつかれたんですよ。ズボンのベルトより少し上の辺りを、ポロシャツの布地越しに、小さな両手でギューッと。てっきり翔琉がしがみついてきたんだと思いましたよ! まだ4歳だったから、甘えたくなったのか、転びそうになったのか、と。でもね、よく考えたら翔琉は、僕より先に、妻と手を繋いで海に入っていったんです。実際、そのとき翔琉は妻の足もとにいました。隼人は僕のすぐ隣にいて……。じゃあ後ろの手は何だ?ってなるじゃないですか!」

その後、少年と4人は来た道を通って宿に戻った。少年が先頭を、祥吾さんがしんがりを歩いたのだが、繁みの間の階段を上りはじめたとき、後ろで大きな水音がした。「魚かな?」と少年が呟く。

祥吾さんが振り返ると、人の肩幅ほどもある蒼白く輝く帯が、自分たちがさっき立っていた辺りから波打ち際まで迫ってくるところだった。

「うわ! こっちに来る!」

祥吾さんは思わず大声でそう叫んだ。しかし同時に妻子が「綺麗だねぇ!」「凄いねぇ!」と歓声をあげた。見れば3人とも感動の面持ちで眺めている。

だから祥吾さんは怖いと思ったのは自分だけなのだと悟り、何も言えなくなってしまったのだという。

本当は、海で腰にしがみついてきた何かがこちらに迫ってくるように感じて恐ろしかったのだが……。