親黙り、子黙り「お兄ちゃんは木の間に入っていって見えなくなった」|川奈まり子の奇譚蒐集二五(上)

――それは二〇〇八年の夏のことだった。

東京都の港区で暮らす高橋祥吾さんは、妻の正美さん、6歳の長男・隼人くん、4歳の次男・翔琉くんと式根島へ旅行した。

式根島を含む伊豆七島は、東京圏の住人にとっては手軽なリゾート地だ。竹芝桟橋から高速ジェット・フォイルを使えば、式根島までは片道3時間。リーズナブルなファミリー向けの宿泊施設、幾つかの海水浴場や、シャワーやトイレが完備された天然温泉があり、釣りやキャンプも楽しめる――というようなことを、祥吾さんと正美さんは、ファミリー向けの旅行ガイドブックで読んだのだった。やんちゃ盛りの息子たちを連れていくには最適な場所だと思えた。

4泊5日の旅だった。島でいちばんメジャーな海水浴場のそばに宿を取り、早朝に自宅マンションを出発した。

竹芝桟橋は自宅と同じ港区内にあり、車で20分足らずの距離。タクシーを拾って桟橋へ。そして午前8時頃に船に乗り、正午に島に到着した。午後の1時前後には早くも島の海水浴場でビーチパラソルを広げていたので、「なんだか夢を見ているみたいでした」と当時を思い出しながら祥吾さんは私に言った。

「あっという間に、こんな沖縄みたいな所に来れちゃうなんて、嘘みたいで。僕も妻も伊豆七島は初めてでしたからね……。宿のそばの海水浴場は遠浅の入り江で、波がほとんど無く、安全に子どもを遊ばせられました。その日は浜辺の売店で買った焼きそばなどで昼食を済ませて、夜は宿が用意してくれたバーベキューを楽しみました」

宿はコテージではないが、一室ごとに独立性が高い造りになっていた。宿泊棟が平屋造りで、各客室の玄関はどれも玉砂利を敷いた中庭に面している。これならば、静かにさせておくのが難しい小さな子どもたちを連れていても、他の宿泊客や宿のスタッフに気を遣わずに出入りができるわけだ。実際、以前、旅先で息子たちの声のせいでトラブルになり、厭な思いをした経験があった。だからこの宿を選んだのだ。さらに運の好いことに、チェックインしてみたら祥吾さんたちの部屋は角部屋で、しかも隣の部屋は空いていた。子連れで滞在するのに理想的な環境と言え、夫婦で大いに安堵したのだった。

おまけに、室内は長方形の洋室で広々としており、トイレとバスルーム、エアコン、テレビが完備されており、掃除が行き届いていた。ツインベッドの部屋だが、子ども用の簡易ベッドを1台用意してくれていた。

旅の滑り出しはこの上なく順調だった。