親黙り、子黙り「お兄ちゃんは木の間に入っていって見えなくなった」|川奈まり子の奇譚蒐集二五(上)
「パパ、写真撮ってよ」と正美さんに催促されて、仕方なくデジカメで光の帯を撮った。
「ごめん。うまく撮れなかったかもしれない。暗いから」
「そう? まあ、写真は適当でいいよね。しっかりこの目に焼きつけたから」
正美さんは弾んだ声でそう言うと、少年に向かって、「本当にどうもありがとうございました! そうだ。ここで渡しちゃってもいいかしら。宿の人たちに話し声を聞かれたくないから。あのぉ、まったくお礼しないわけにもいきませんから、どうぞこれを……」と言って、何か小さな物を手に握らせようとした。
「本当に少額ですから。遠慮しないで受け取ってください」
「いえ、でも、そんなつもりじゃなかったので」
少年は拒むあまり、階段を駆けあがってしまった。
祥吾さんは、内心、海から離れたくてたまらなかったから、この機を逃さず妻と息子らを急かした。
「さあ、早く行こう! お兄ちゃんに追いてかれるぞ!」
子どもたちは走って階段を上って行き、祥吾さんと正美さんも早足になった。
――にわかに辺りが静かになった。息子らが離れていったせいだろう。
後ろで繁みがざわざわと潮風に騒いでいる。それが何か、人の気配のようにも感じられてきた。
振り向かない方がいいような予感がした。しかし我慢できなくなり、後ろを向いて、今上ってきた階段を見下ろしてしまった。
すると、下の方に、次男坊と同じくらいの大きさの黒い影が佇んでいた。あまりのことに声が出ず、ただ、正美さんの肘を掴んで振り向かせるのが精一杯だった。
「なあに?」
「あれ。あそこ。何かいる!」
「……木じゃないの?」
「違うよ。あの辺は階段だ。今、登ってきたところじゃないか!」
「厭だ。変なこと言わないでよ。背が低い木に蔦が絡みついてるんだよ」
「でも、こっちを見ているような気がしない?」
「何言ってるの? 怖がらせるのやめて! もう行くよ!」
結局、二人で競争するかのように階段を駆けあがることになった。
上ってみれば、階段のとば口からは宿泊棟の建物が思っていた以上に近かった。常夜灯の明かりを頼もしく感じた。自分たちの部屋の前に息子たちがいるのが見えた。
少年の姿は無かった。