阿蘇山の夜道 「夜中に寝ていると『窓の外を見ろ!』と叫ぶ何者かの声」|川奈まり子の奇譚蒐集二七

一九七四年生まれの中村勇さんは熊本県阿蘇山で少年時代を過ごした。代々、阿蘇山で林業に携わってきた家に生まれ、勇さんの父も林業関連の会社を経営していたが、その職場は山でありつづけた。

阿蘇というと、私のような東京者はどうしても観光客の視点で、活火山である阿蘇山ハイキングや温泉などを思い浮かべがちだが、当然彼の地に根を張って暮らしている人々がいるわけである。

勇さんの生家が営む林業は阿蘇地域の地場産業であり、阿蘇地域林業担い手対策協議会ホームページ《ASOMON》によれば、二〇一九年現在、二つの森林組合と七つの林業事業体がある。

阿蘇山は杣山であり、古くから杣人も多く暮らしてきた次第だ。

さらに、阿蘇山は山岳仏教と修験道の霊場でもあった。私の観光客レベルの前知識には阿蘇で霊場といえば阿蘇神社しか存在しなかったのだが、かつては山上に三十七坊五十一庵を有していたというから驚きだ。

仏教の霊山としての阿蘇山は、一六世紀の島津氏対大友氏の争いが原因で、すべての僧房が撤退して一旦、終焉した。開祖は最栄読師とされ、七二六年に天竺から来朝して阿蘇山上で十一面観世音菩薩を刻んだという説と、最栄読師は比叡山慈恵大使の弟子で一一四四年に開山したとする説があるが、いずれにせよ阿蘇山は数百年間も仏教の霊場としての威容を保ってきたことになる。

その後、一五九九年に加藤清正の尽力で阿蘇山の麓に坊中(坊舎や宿坊の集合)が再興されて山上にも寺の本堂が建てられ、それが現在の天台宗西厳殿寺に繋がっているのだというが、山上の坊中が復活することはなかった。

中村勇さんが子どもの頃、生家の近くに、由来のわからない石の祠があったそうだ。ひょっとして古い坊中の遺跡だったら面白いのだが、今でも存在するかどうかはわからないのだという