古今蓮華往生 「2人して和やかにの不忍池の蓮の花を見つめたまま、スーッと遠のいていくんです――」|川奈まり子の奇譚蒐集三二

まずは古い方から。

生を遂げると極楽浄土で蓮の葉の上に生まれ変わることを「蓮華化生」という。

この言い伝えを悪用して、「蓮華往生」と称された恐ろしい大量殺人事件が江戸時代に起きた。

その頃、信心すれば誰もが平等に成仏して極楽に行けると説く法華経が庶民の間で大いに流行った。この教えを深く信ずるあまり、今すぐにでも成仏したいと願う信者も少なくなかったとのこと。

すると、これに着目した悪党のグループがある寺を抱き込み、確実に成仏させることを条件に、熱心な信者から多額の寄進を募りはじめた。

そして、寄付を済ませた者から順に、作り物の大きな蓮華台に乗せては、台座の下に隠れた奴が槍で突き殺して、せっせと極楽浄土に送ったのである。

すり鉢状になった巨大な蓮華台の縁に隠れて、惨殺の一部始終は誰にも見えない。断末魔の絶叫は、儀式の間ずっと信者の大集団が唱和するお題目や悪党一味のグルになった僧侶たちの読経、そして太鼓や鉦を打ち鳴らす音に掻き消された。殺した遺体は台の中に落とし込み、ただちに火葬して証拠隠滅。

かくして、神聖なはずの寺を舞台として、大量殺人が成し遂げられてしまったのである。

この「蓮華往生」事件は、実際に、上総国(千葉県中部辺り)のどこかの寺で寛政年間(1789~1801)に起きたとされる説が有力だ。

しかし、これが元禄11年(1698年)の法華寺お取り潰しに繋がったとも言われているとのこと(目黒区ホームページ「歴史を訪ねて 円融寺」を参照)。

後者の説を支えるのは、現在の東京都目黒区にある碑文谷法華寺(現・円融寺)に、当時の江戸っ子庶民のヒーローである一心太助が乗り込んで「悪僧ども、神妙にせい!」と悪党一味を成敗したという話だそうだが、これはどうも眉唾だ。

一心太助の墓が東京都内に在ることは確か。しかし、定説では一心太助は架空の人物だとされているし、いくらなんでも話が出来すぎているように思う。

なんと言っても、聖が俗に堕ちる筋立て、酸鼻を極める残酷描写、大掛かりな舞台装置と三拍子揃った、いかにも芝居向きの事件である。

明治11年(1878年)になると、歌舞伎作家・河竹黙阿弥が、江戸の一大スキャンダル「延命院事件」をメインに据えた全七幕の世話物《日月星享和政談》の一幕として、この「蓮華往生」を舞台化した。

ご存知の方が多いと思うが、延命院事件というのは、美貌にして精力絶倫の破戒僧・日道が、大奥の女をはじめ高貴かつ淫らなお女中と次々に姦淫に及んだ女犯事件だ。1803年(享和3)に事が露顕して、日道は死罪に処された。

日道が住職をしていた江戸・日暮里の延命院と「蓮華往生」が無関係なのは言うまでもない。

参考記事:阿蘇山の夜道 「夜中に寝ていると『窓の外を見ろ!』と叫ぶ何者かの声」|川奈まり子の奇譚蒐集二七 | TABLO