200人を超える報道陣の前でオウム真理教幹部・村井秀夫を刺殺した徐裕行氏と会って|インタビュー
1995年4月23日。地下鉄サリン事件から一ヶ月が過ぎ、もはや日本中の誰もが黒幕はオウム真理教だろうと確信していた。教団側は必死に否定し続けるが、緊張の度合いは日増しに強まり、いつ何が起こるか分からない。南青山のオウム東京総本部(通称マハーポーシャビル)前には、200人もの報道関係者が常駐で待機していた。彼らがカメラを構え、ライブ中継しているその眼前で、一瞬の凶行が繰り広げられたのである。その生々しい映像はニュース番組やワイドショーで何度も放映されたが、さすがに悲惨だということで数日後には自主規制がかかる。
村井が刺された1時間後には、教団の広報を勤める上祐史浩が病院前で会見。「あなた達は、マスコミの報道で、犯人にまでなっていない人間を、起訴もされていないし逮捕もされていない人間を犯人と決めつけ、そして国民の感情を煽り、そしてそういう結果、いらぬ敵意を抱く暴漢を作り出し、そしてこういう結果に陥ったんじゃないのか!」「麻原を殺す気ですか今度は!」と報道陣をなじる一幕を見せたのも話題となった。
明けて24日の午前2時30分、村井の死亡が確認された。大量の輸血も間に合わないほどの出血性ショックが死因であった。そして5月16日、麻原彰晃ら教団幹部の一斉逮捕。サリン事件を含む裁判が行われていったのだが、教団内で科学技術を担当していた村井の死が、真相究明に大きな影を落としたのは間違いない。