戦時中、連合軍攻撃により川底に沈めてしまった日本軍の機関車がついに引き揚げられることに タイ中部

2018年09月06日 川底 引き揚げ.タイ中部 戦時中 日本軍 機関車 連合軍

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thai.jpgニュースを報じる現地メディア


 タイで太平洋戦争時の不発弾が川底に埋まっているのが見つかり、今年中に不発弾処理をすることになりました。あわせて近くに沈んでいるやはり戦時中の蒸気機関車も引き揚げるのですが、この機関車が日本製の可能性もあるとのことで日本人も要注目です。

 場所はタイ中部ラーチャブリー県中心部。メークローン川に架かる国鉄南線チュラロンコーン鉄橋の直下です。爆弾は国鉄南線複線化のためチュラロンコーン鉄橋に並行した橋の建設作業中、新たな橋脚の基礎部分を掘削している最中に発見されました。

 合計5つの大型爆弾が見つかり、GP BOMB(汎用爆弾)かAN-M65の1,000ポンド爆弾と推定されています。

 一方の蒸気機関車は実は1992年に偶然発見されて以来、観光の目玉にしようと引き揚げの話は何度もあったのですが、費用が工面できず放置されてきました。川の水が濁っているため判別できないのですが、日本製C56かイギリスのKITSON/NORTH BRITISH社製P-CLASSではないかと推定されています。

 この国鉄南線は現在でもタイの首都バンコクからマレー半島を南下しマレーシアを経てシンガポールまで至る「イースタン&オリエンタル・エクスプレス」が運行されている国際路線ですが、太平洋戦争中も日本軍にとってシンガポール方面からタイへの物資・人員輸送の重要なルートでした。泰緬鉄道建設に当たった連合軍捕虜もシンガポールから貨車に乗せられ、この鉄橋を通って送り込まれたのです。

 この鉄橋は1901年に時の国王ラマ5世、別名チュラロンコーン大王が立ち会われ開通式が行われた由緒ある鉄橋なのですが、連合軍にとっては日本軍の補給ルートかつ退却ルートを絶つためにどうしても落としたい橋でした。

 地元の記録によると、連合軍はそこで1945年1月に2回に渡ってこの鉄橋を爆撃しますが爆弾が外れて失敗。2月11日夜、3度目の爆撃作戦では鎖でつないだ時限式爆弾を投下して橋に絡ませることに成功。翌12日朝6時30分、爆弾が爆発して橋は落ちてしまったのでした。川底の爆弾はその3回の爆撃のいずれかのものでしょう。

 鉄橋を落とされた日本軍は真横に木材で橋を急造したのですが、蒸気機関車で試運転をしたところ橋脚が重さに耐えられず崩壊。蒸気機関車は水中に落下してしまいました。それ以来爆弾と共に川底に眠っていたというわけです。日本軍がイギリス領マラヤで接収したイギリス製蒸気機関車かもしれませんが、日本から多数持ち込んだC56の可能性も大いにあります。

 不発弾処理の際には半径1キロを立ち入り禁止にする大がかりなものとなるそうです。それと同時に引き揚げられる蒸気機関車の状態がどのようなものであるのか。車輪が一部外れて近くに落ちているとの話ですが、復元可能な程度の傷み具合であることを地元自治体も期待しているようです。

 なお余談ですが、メークローン川を渡る橋を失った日本軍は以後、すぐ手前の駅付近で貨車から積み荷を下ろし、川を渡し船で運搬して対岸から再び貨車に載せて運ぶという不便を強いられたそうです。戦後、インド軍の指揮下で抑留日本軍を使役して橋の再建工事が昼夜問わず進められ、2か月の工期で1945年10月20日に開通しました。その後1960年に改修されています。(取材・文◎赤熊賢)

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