忘年会シーズンですね。皆さんは飲み屋でからまれた事はありますか? 僕はあります。僕がよく飲んでいるゴールデン街だけではありません。違う場所でもからまれました。
なぜか考えてみました。あまり面白くない場では、僕は愛想をふりまきません。愛想を振りまいている時は、本当に楽しい時です。一時はこの悪癖を止めようと考えて、訓練しました。大学卒業したての営業職の時代でした。しかし最近は面倒くさいです。かと言って無愛想にしているつもりはなく、自然体で行こうと思っています。こういう態度が悪いのでしょう。そう、僕が悪いんです。からまれ体験の一つを挙げてみます。
場所はゴールデン街です。一人で飲んでいました。隣の客が大声で「おれは誰誰という女優を知っているんだーー」とずっとママに大声で話しています。すると、左隣の若者と中年男性にからみ始めました。二人とも話した事はないのですが顔は知っていて、Cマガジンさんのライターでした。
「可哀そうになー」と心の中でつぶやきながら、いつこっちに火の粉がふりかかってくるか分からないので、こっそりママにお勘定だけはしておきました。いつでも帰れるように中腰にしていたところ、男はいきなりこちらに振り向いて、初めて僕に話しかけました。
「お前、殺すぞ」
えええー。何も言っていないじゃん! 今日初めて会って、初めて話したよねぇ。でも前述したように僕は人を不愉快にしてしまう不思議な力を持っているのかも知れません。けれど「殺す」という言葉は迂闊に出してはいけません! それはSNSでさえも。
いやSNSだからこそ、気軽に書いてしまえるワードなので余計に慎重にしなくてはいけません。そして、SNSでは「殺すぞ」などと言えたとして、面と向かったらどうなるのか。そんな想像力を働かせるのが大人だと思います。
言葉の重要性は、決して宣伝ではなく、拙著「生身の暴力論」(講談社現代新書)できっちり書いたつもりです。もしかして、「殺す」と言った相手がトンでもない人間だったら? そういう想像力の欠如は時として本当に大変な事態を起こしてしまいますよ、とその男性に言いたかったです。
瞬間、僕は"行動"に移しました。どういう"行動"なのかは聞かないでください。
中略します。
その男性は店を後にしました。僕はママに謝り、近所のバーに席を移しました。その男性はしばらくこのバーに来なかったようです。
でも、こういう人はたまにいるんです。酒席では「殺すぞ」という類の暴言を吐く人はいます。本当に危ういなと思います。
例えば隣がヤクザだったら?
あるいは半グレだったら?
格闘家だったら?
そして彼らが見かけは優しい感じだったり、細面だったりしたら。大人がする、一番愚か行為のひとつが「人を見かけで判断する」です。
「殺すぞ」は生き死にの問題ですからね。「殴るぞ」とか「てめえ」とは全然違います。
そういう事を言ってしまう人の気持ちも分からないのではないんですよね。だって、株価の数字だけ上がって与党は「どうだー」みたいに言いますが、全然実感が湧かない現代ですからね。
でも絶対に生き死にのワードは言わないで下さい。何より楽しく飲みたいじゃないですか。
文◎久田将義