予算委員会は森友問題に集中しており、すっかり稲田元防衛相の失言や日報問題など忘れ去られてしまいそうな雰囲気です。本サイトはしつこいので、忘れそうな問題を拾い上げていこうと思います。
第三次安倍政権はさまざまな法案を強引に可決していきました。その一つに安保法制改正があります。あの強引な改正の陰で、「戦闘地域」に行かされる当の自衛官はどう思っていたのでしょう。安保法制改正がきっかけで自衛官の職を辞したある人物に接触出来ました。一体、彼はこの法案をどう見ていたのでしょうか。
「最初は国防とか災害救助の意識とかなくて、実弾を撃ちたかったんですよ」
20代の元自衛官(A君)は口を開きました。駐屯地の場所は言えませんが、ここでは関西以西としておきます。
災害より国防
「なぜ自衛隊に入ったかというと、僕はアサルトライフルを撃ってみたかったんです」
もともA君はFPS(シューティングゲームの一種)にはまっていました。
「結構そういう動機で入ってくる奴多いんですよ。でも辞める人も多いですね。ゲームと違いますから、実戦は。誓約書に署名するのですが、『命を省みず国防、国のために尽くせ』という一文があるんです。そこでビビっしまう人間が多いです」
訓練は部活動の延長のようだったといいます。いわゆる体育会、そのもの。
「礼は30度。もっと丁寧にするのは60度。足の開き方45度。敬礼は自衛隊の場合、最短距離で顔に持っていく。で、手のひらは見せない」
教員・訓練では連帯責任を取らされました。
「何か失敗をしたら全体の責任です。班全員で腕立て100回、アスファルトの上で拳立て100回。たまに失敗をした人以外でやらせされるという事もあります。それって、精神的にきついですよ」
上官の命令は絶対です。
「カラスが黒でも白という、そんな世界です。陸自は敵が空と海(空自と海自)を突破して日本本土決戦の際に戦う部隊じゃないですか。だから銃剣は徹底的にしごかれました」(A君)。
災害救助にも行きました。
「伊豆大島の土砂災害に行きました。土地をグラウンドのように元通りするのが大変でしたね」
が、上官には「お前らは災害のためにいるわけじゃないんだ。国防がメインなんだ」と言われ続けたそうです。
「SEALDsは平和ボケだなと思っていました」
そんな折、安保法制が改正されました。集団的自衛権の行使、武器使用の拡大。
「自衛隊が戦闘に加わる可能性が俄然、帯びてきたんですよね。いつ、どこで紛争・戦争が起きるのか分からないじゃないですか。もしかしたら本当に死ぬかも知れない。そんな思いがよぎりました。
日本は島国だから海自、空自の装備にお金をかけているけど陸自はあまり強化していないって言われていました。だから余計に恐怖心が沸いたんですよね」
安保法制改正に対しては、国会前ではデモが行われていました。同年代のSEALDsの人たちに対してはどういう思いを抱いていたのでしょうか。
「正直言って良いですか? 平和ボケだなと思っていました。同年代ですから、デモに行ってどういう心理なのかって聞きたかったですね」
結局、安保法改正が与党のごり押しで通ってしまいました。
「これで海外派兵が現実になるんだと怖くなりました。でも政策的には良いと思います。集団的自衛権は賛成です。でもいざ行くとなったらやっぱり怖いです」
他にも上官とうまくいかなかったという理由もあり、A君は除隊してしまいます。現在は関西某所に在住。ある出版社に勤めています。自衛官の面影はありません。
「実際に戦争が起きて、戦ったとしたら? うーん...さっきも言いましたが日本は島国ですから空自、海自の装備はすごいんです。僕ら陸自は弱いとされていました。だって陸自が出てくる段階って敵がもう本土に入って来てるでしょう。その前に止めなければならないですからね。僕らは米軍の十年前の装備だと言われていましたよ」
今でも同期と連絡を取っているかと聞いてみました。
「取っていますよ。同期はソマリアに行ったりしています。海外ではこんな様子だよ、と友達が教えてくれるんです」
一日の任務はただ立っているだけ。あとは米軍と野球三昧らしいのです。
「結局、紛争地域でも自衛隊を守っているのが米軍ですからね。何だかなあと思っています」
A君が自衛隊にいた当時、SEALDsやシンパ文化人、国会議員などもデモに参加していました。その舌の根も乾かないうちに、希望の党に移った人もいました。
背広組はその頃何を考えていたのでしょう。
いざとなったら、「最前線で弾に当たってくる」そんな法律が出来たA君の除隊を誰が責められるでしょうか。
文◎編集部