「やられた!」と思って傘で叩いた
夜の新宿、時刻は23時をまわった頃だった。自転車に乗って通行していた48歳の女性は後ろからいきなり左肩のあたりを傘で叩かれた。殴ってきたのは30歳前後の茶髪の男。男は女性を叩いた後、付近の通行人に向かって傘を振り回して暴れていた。被害に遭った女性はこう供述している。
「叩かれた痛みはさほどでもなかったけど怖かったので通報した。私以外にも叩かれている人がいた。本当に怖かった。被告人には厳しい処罰を求めます」
被告人、船山幸雄(仮名)は当時34歳。高校卒業後、職を転々としていたが事件当時は無職。漫画喫茶などで寝泊まりしていた。暴行、強制わいせつなど前科は多数あった。
事件当日、船山は高田馬場のミャンマー料理店で食事をした後、泊まる場所を探して歩いていたら急に腹痛に襲われた。
「ミャンマー料理が美味しくなくて腹が立った。お腹まで痛くなった。何か、料理の中に変なものを入れられたんじゃないか、やられた、と思った。どうせ下剤か何か入れたに決まってる、と考え始めたら怒りが抑えられなくなった。憂さ晴らしをしようと、なりふりかまわず通行人を傘で叩きながら歩いた」
と事件の動機について話していた。逮捕はされていないが、船山は以前からムシャクシャすると通行人を傘などで殴ったりして『憂さ晴らし』をしていたらしい。
息子が『住所不定』になっていることを初めて知った母
アスペルガー障害。それが船山の受けている診断名だ。高揚した際に突飛な行動をとってしまう。これが原因で今まで何度も捕まってきた。感情をコントロールしたり、行動を抑えるための訓練を受けていたが変化はなかった。
本人は自分のアスペルガー障害に関して、
「今までの訓練で何かが変わったとは思ってない。どんな訓練をしたかの記憶もあまりない。自分の性格に問題があるのは自覚しているけど、正直、アスペルガーって何? って思ってる」
と話していた。
船山はこの事件のひとつ前に捕まった時はすでに訓練を受けていたが、逮捕・服役で訓練は中断された。出所後はそれまで住んでいた実家を離れて一人暮らしを始めたので、その後訓練はずっと受けていない。
同居していた母は出所後に家を出た船山を心配していたがどうしようもなかった。船山の服役中に祖母の認知症が進行してしまい、その介護に精一杯だった。祖母の介護をしながらアスペルガー障害を抱える船山を引き取ることは困難だった。
「不安ではあったけど、色んな人に相談しながら見守っていくと決めた。もちろん病気のことは心配してた」
しかしやがて船山は母との連絡を絶ち音信不通になってしまう。警察に今回の事件のことを知らされて行った面会の場で彼女は初めて船山が住所不定の状態になっていることを知った。
母は今後、船山を実家で生活させて訓練も再開させるつもりだと言う。
「本人を更正させるために、自分に出来ることは精一杯やっていきたい」
これまでもずっと精一杯やってきたはずだ。だが船山を更正させることは出来なかった。これ以上、母に何が出来るのだろうか。
何でみんな笑って楽しそうに生きていられるの?
船山は一体何に怒っていたのだろう。ミャンマー料理のことはただのきっかけに過ぎないと思う。船山は裁判中、こんな話をしていた。
「生まれてからずっと万引きとか、犯罪行為ばかりしてた。そんな人生の中でずっと『裏切られた』という想いがあった。何に対してそう思ってるかは自分でもよくわからない。生きていることに激しい苦しみがある。何でみんな笑って楽しそうに生きていられるの? いつも心の中は苦しみでいっぱいで、正直反省どころじゃない」
感情が高揚すると理解できない行動をとってしまう船山。彼と、彼の障害を認め受け入れてくれる人は今までに一人でもいたのだろうか。誰もが当たり前のように持っている人との繋がりや温もりを彼は手にしたことがあるのだろうか。
彼を『裏切った』のは、一体誰なのだろうか。
取材・文◎鈴木孔明