【未解決事件 File.2】赤報隊事件『私も犯人と疑われた』第一回(全二回)【消えた殺人者たち】

2018年02月02日 

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右翼テロリズムを体現する「一殺多生」という言葉がある。意味はおのずから解されると思うが、一人もしくは少数の害毒を流す輩を殺害するによって、多くの人々を救い、より良い社会を実現されることを願う行動指針である。

テロの歴史は古い。
革命も見方によってはテロである。

明治維新の突破口となった水戸浪士による桜田門外の変、尊王攘夷派の刺客が放った幕府要人への斬殺はまさに「一殺多生」を具現させるためにとられたテロリズムだった。
昭和初期に起こされた「五・一五事件」、「二・二六事件」も同様の信条に基づいて起こされた行動である。「七生報国」を最後に浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢もまた然りだ。
「偉大なテロリズム」とは、必ず自己を超越して国家・民族に帰一する必然性を持っている。いうならば国家・民族の救世主的な強い意識を持っていると言えるのだ。そしてテロリスト=行動者には必ずこの心情の自負心が強く抱かれていなければならない。


警察から尾行、張り込み


平和享受の惰眠が、戦後70年の日本弱体化政策と自虐史観の蔓延に憤りと危機感を抱かせた「テロリスト」を登場させた。旧来の右翼が持っていた信条とは全くはかけ離れていないが、行動パターンが情報化社会に適合するかのようなゲリラ部隊として登場したのだ。

旧来の右翼とは違って、権力との慣れ合いの運動を脱し本格的な維新的行動をとっていったと思われる。権力に捕捉されないことは警察力のないことを示しているのだ。

昭和62年から対朝日新聞社攻撃を敢行する『日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊一同』を名乗るテロリストである。

彼らがマスコミ機関に送った「声明文」に書かれている文言を純粋に額面通りに受け取れば、右翼テロリストという位置づけになる。だが、「声明文」の内容が誰かしらからカモフラージュされているのなら、まったく違った見解を表明しなければならなくなってくる。

私自身、「統一戦線義勇軍」として戦後体制打倒を掲げ活動していたことから、「民族独立義勇軍」の思想・信条は理解できるところである。しかし、同じような名称のため捜査当局から「赤報隊の一員ではないか」「もしくは何らかの関連があるのでは」とマークをされてきた。

実は事件が報道されたた昭和62年から平成に入るまでの間、24時間四六時中捜査当局から徹底した尾行、張り込み、追跡という圧力をかけられる経験をしたことがあるのだ。それ以外でも、かげ日なたや周りの関係者に捜査の圧力が加えられる事もあった。
どこに行くにも私から二メートル後ろには刑事が三人ピッタリとついてきた。また、私が住んでいる家の近所に、刑事が部屋を借り、絶えず監視をしていたのである。近くに住むということは、明らかに電話の盗聴はされており、通信の秘密も人権もあったものではなかった。

そのころは「統一戦線義勇軍」の議長として最前線に立っていたためか、かなり強い警戒があったが、私は捜査当局の圧力には一切屈しなかった。むしろ、一水会機関紙「レコンキスタ」で捜査当局の不当性に抗議をしており、当然のように対抗していたのであった。


私はテロリストの疑いをかけられていた


それは「赤報隊事件」が起きる4年前、昭和58年8月13日に起こされた朝日新聞東京・名古屋両本社に時限発火装置が仕掛けられる放火事件の実行者として、私に疑いがかけられたからである。

名古屋本社はともかく、東京本社に関しては「木村がやったのではないか」という見解が持たれていた。

しかし断っておくが、私は大国主義や植民地主義に対する抗議としてゲリラ行動をとったことはあるが、日本の報道機関に対する行動はこれまでとった事がない。従って、俗に言われる前記の「八・一三事件」に私はまったく関与していないのである。

ところが、捜査当局は光栄(?)にも「八・一三事件は木村の仕業」と断定しているようなのだ。その様な思い込み捜査になると誰か容疑者をあげなくてはならない。この事件で出された声明文に私が関与していることとなってしまった。また、使用された名称が「日本民族独立義勇軍声明 第四号」として、通信社に送りつけられたからである。

実際、この「赤報隊事件」を解明するカギは、「日本民族独立義勇軍」の8月13日に出された声明文の「義勇軍声明」と「義勇軍命令」の違いを分析することが出来れば、何らかのヒントが出てくるのではないか。

私がここで言いたいことは、「赤報隊」というゲリラ部隊が結成される前に「義勇軍司令部」と「義勇軍実行部隊」がすでに分化して事に当たっていたのではないかということである。

その根拠として言えることは、「義勇軍声明」のなかでは「我ガ軍ハ、日本民族ヲ代表シ」と自己を軟らかく規定しているの対し、「義勇軍命令」では「我軍ハ日本民族ノ前衛トシテ」というような自己規定をしている点である。「代表」と「前衛」では大きな違いだ。「前衛」ということは、今日のご時世からすれば明らかに「実行部隊」を意味する言葉ではないのか。

また、「日本民族独立義勇軍」が起こしたとされる過去のゲリラ事件は、その対策が米ソ両国に関係する施設であった。この「八・一三事件」で初めて報道機関が攻撃の対象となったのである。しかも、「軍命令」が発せられたということは、彼らが報道機関を攻撃対象とした実行部隊が結成されたということではないか。そしてこの4年後には「厳罰ヲ加ヘル」に留まっていた部隊から「処刑」へとエスカレートした「赤報隊」へと進化していったのだ。

いうならば、この「八・一三事件」を「赤報隊事件」の萌芽として朝日新聞社が気づいていれば「一・二四東京本社発砲」をいい加減に対応しなくて済んだかも知れないのだ。マスコミと言えども当然、セキュリティーを重視しなければならないはずだ。国の施設とは違うもののセキュリティーに変わりはない。
ところが、それらの発信する情報を敏感に受信できなかったところに問題があったのではないか。軽く見てしまったのだ。これは分析能力の落ち度といってよい。

先ほども触れたように、私はどうもこの事件では最初から「何か知っている」として捜査当局から目を付けられていたように思われる。それもかなりの重要参考人として見られていたようだ。それはそれで「何故だ」という思いがあるが、私は事件が起こされた一周年に際し、「第七回反憲法全国大会」で「赤報隊事件」に対する見解を発表した。

「『赤報隊』が声明文で訴えた内容は理解できるし肯定する。戦後体制を打倒する立場から、状況認識も共有できる。しかし、現段階において朝日新聞社員を殺害することは得策ではなく、行動においては否定せざるを得ないとした」のである。「だが、あらゆるテロリズムを否定するものでもない」と明確に述べたのだ。

この認識はいまも変わっていない。当時と同じ認識である。ただ、違いがあるとすれば、「赤報隊」の行動的心情が前よりは理解できるという事だ。それだけ世の中がめちゃくちゃになりつつあり、大きなインパクトを与えることなくしては覚醒しないのではないかという気持ちを抱き始めたからである。その限りにおいては、「赤報隊」が表明した声明文の内容は正しく、十数年経った(※執筆当時)今日において、より現実を帯びてきたのではないだうか。とりわけ彼らが一番表明したかった基本的文書は以下の部分ではないかと考えられる。(以下次頁に続く)


文◎木村三浩(一水会代表・文中敬称略・「消えた殺人者」より再録・加筆)

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