古来より、「雌鶏が時を告げると、天下は乱れる」と言うが、現在のみんなの党はまさにその状態だ。結党時から代表の渡辺喜美氏の妻であるまゆみ夫人が党の運営に口を出した。
例えば平河町の党本部だ。専任のスタッフもいないまま、マンションの一室を借りている。当然、電話をかけても誰も出なかった。
「あの子はそんなにお金を持っているはずない。大丈夫かしら」
まゆみ夫人の散財は、渡辺氏の母親に心配されるほどだったという。
そして今では、まゆみ夫人は公認候補の選定にまで口を出しているという。たとえば東京選挙区から出馬した桐島ローランド氏。桐島氏はまゆみ夫人のお気に入りの松田公太氏の飲み友達で、松田氏は桐島氏を渡辺氏に紹介する前にまゆみ夫人に紹介した。
しかし、結果は言うまでもなく落選。その後、党は議席を伸ばしたにも関わらず内紛続き。党の命運すらおぼつかない状態だ。
渡辺氏ほど「大物」だけではない。新人の一年生議員にも「雌鶏」はいる。参院選で当選した野田国義夫人も「雌鶏」のひとりとして永田町関係者は面白がっている。
野田氏は古賀誠元自民党幹事長の秘書を務めた後、地元の八女市で市長に就任。そして2009年の衆院選には「打倒古賀」を謀る小沢一郎民主党幹事長(当時)に説得されて出馬し、小選挙区では古賀氏に負けたが復活当選した。
野田夫人は野田氏の幼なじみで、実家は地元で製菓店を営んでいる。夫人の父親は貧しい農家出身の野田氏との結婚を嫌い、2人が結婚したのは父親の死後のことだった。
「世間知らずのお嬢さんがそのまま年齢を重ねたような人」
野田夫人を知る人は一様にそう述べる。その理由は野田夫人の「非常識さ」にある。秘書の人事や事務所の経理に口を出すが、野田氏が衆院議員時代には「あまりに常識はずれなので、秘書が次々に辞めていく」というのがもっぱらの噂だった。
私設秘書にしても、常勤はお金がもったいないからとパートタイムを雇ったが、残業のために月の支払いが数万円でも増えると「あなた、本当に働いているの?」と文句を付けた。
挙句の果てが長男の就職だ。日大大学院修士課程2年の秋まで内定をひとつも得なられなかった長男を、秘書が知り合いの業者を通じてなんとか上場企業に突っ込んだ。その秘書がいなければ、長男はいまでも就職していなかった可能性は大きい。それなのに感謝の言葉どころか、「就職は秘書のおかげではない」と野田氏が参院選で当選した後はその秘書を放逐。すでに一年生議員ではやくも身内に敵だらけでは先が思いやられる。
まゆみ夫人も、舅である美智雄氏の頃から務めている古参の秘書を追放した。彼女らに共通するのは、夫以上に自己顕示欲が強く、でしゃばること。そして周囲の縁故を刷新して、自分のブレーンを据えていく。
これが永田町の「さげまん」の特徴だ。
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Written by 西堂義隆
Photo by DS80s