沖縄県知事選挙が終わった。結果は玉城デニー氏(58)が史上最多の39万6632票を得て当選。自民・公明が推薦する佐喜眞淳氏(54)に8万票以上の差をつけて沖縄県知事に就任することになった。
筆者は告示前日の9月12日~16日、最終盤の9月28日~10月1日まで沖縄に滞在し、全4候補の取材を続けてきた。
その上で言いたい。メディアはなぜ最初から「多様な選択肢」を無視してしまったのか。
今回の知事選には、玉城氏、佐喜眞氏の他に、もう2人立候補していた。渡口はつみ候補(83)とカネシマシュン候補(40)だ。しかし、メディアは告示前から「佐喜眞、玉城、事実上の一騎打ち」との表現を続けた。
ひどかったのは告示翌日の新聞だ。そこには、渡口、カネシマ両候補の政策が全くと言っていいほど載っていなかった。
渡口候補の主要政策は、県民一人あたり月に30万円の収入を保証する「ベーシックインカム(BI)」だった。BIは欧州でも注目を集め、日本でも自由党が参院選の公約に入れている。渡口候補は「消費税を30%に上げ、地域電子通貨を発行することで経済を回す」と主張した。しかし、新聞には「ベーシックインカム」の「べ」の字も掲載されなかった。
カネシマシュン候補についても同様だ。カネシマ候補は「目安箱の設置」「辺野古新基地建設の県民投票実施」などの政策を掲げた。ちなみに選挙中の9月20日、沖縄県は県民投票条例案を県議会に提出している。2人の候補の政策が非現実的だったわけではない。
たしかに渡口、カネシマ両候補は政党や組織の支援を受けていない。だが、いくらなんでも、いくらなんでも......、告示翌日くらいは政策を紹介してもいいのではないか。
無視された候補の悲しみと怒り
このことはメディアにも悲劇をもたらした。実は開票日の夜、渡口、カネシマ両候補は新聞社からの取材を全て断っている。そこには「取材に応じても載せてもらえない」という独立候補の悲しみと怒りがあった。
2候補とも、出馬前からメディアのアンケートや取材には全面的に協力してきた。プロフィールから政策まで丁寧に伝えてきた。膨大な時間を奪われても、自分の主張が有権者に伝わればと、寝ずに回答してきた。
しかし、それでも2人の選挙運動が報じられることはなかった。
有権者に選択肢を提示するために立候補したのに無視される。そのことに傷つき、不信感を抱くのも当然だろう。
カネシマ候補にいたっては、開票翌日にもっとすごい悲劇が起きている。全く取材を受けていないのに、なぜか翌日の新聞に「敗戦の弁」が載るという事態が発生したのだ。
カネシマ候補は筆者にこう言った。
「オレが沖縄の新聞を取ることは、もう一生ないですね!」
捏造コメントを書いた記者に言いたい。記者を辞めて自分で立候補してみたらどうか。(文◎畠山理仁)
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