「朝まで生テレビ」にいまさらムキになっている学習の足りない中高年たちへ|久田将義

2018年06月04日 三浦瑠麗 朝まで生テレビ 朝生 田原総一朗

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 すっかりチェックしていませんでした。「朝まで生テレビ」の田原総一朗翁の「キ●ガ●」を連発騒動。

 朝生の役割は何だったのかというと、1980年代後半に、世間では知られていなかった「論客」を表舞台に出し、一見議論らしきものをしている「雰囲気」を視聴者に届ける事でした。
 それで、僕ら未熟な大学生らはインテリジェントに触れた気になって、悦に入っていたものです。「俺って社会の事を考えている」みたいな感じです。確かに中には「どうするプロ野球」みたいなものがあったり。また、天皇制をテーマにしたり、民族派を出演させた功績はあるでしょう。
 また、「朝生」から有名になった人は「朝生」の批判はし辛いでしょう。恩義からだとは思いますが、恩義という言葉を大切にしたい僕としては、気持ちは分かります。

 が、僕は、一時、一視聴者だったに過ぎず、しかも特に熱心ではないし、理解力も偏差値も足りないのでそんなにハマらなかったです。
 また、学生たちが見学にきているのですが、彼らが映し出される度に「ああ、この人たちとは人種が違うんだな」と毎週ディスコに通っていたり彼女との半同棲生活が大事だった僕は、思っていました。今は違います。生暖かい目で見守っています。

 ただし、若い人たちがこの番組に対して、声を挙げるのはわかります。しかし30年近く同じような事を放送している、この番組に対してムキになる中高年の人たちは何を学習していたのかと不思議に思います。

 その学生や社会人たちからの質問で、田原さんがキレる瞬間がありました。
「結局、答えが出ていないじゃないですか」というもの。このキーワードは田原さん、スイッチが入るらしく、
「ちょっと待って。今のは聞き捨てならない。じゃあ、貴方はどうしろっていうの」
 と、自分の子供くらいの歳の学生に迫っていました。バカな大学生なりに、僕は「いや、友達にはなれないけれど、この学生かわいそう。本当の事言ってんのに」と冷めた目で見ていました。 
 冷めた目と言いましたがちょっと違くて、僕だけでなく僕の周囲の、バブル後期の恩恵を受けてチーマーみたいなかっこをして渋谷、六本木でパーティを開いていた連中はそう思っていたでしょう。

 ただ、一度だけ田原さんが感心した大学四年生の人がいました。今だと50半ばくらいでしょう。戦争についてテーマでしたが、「戦争の愚かさと、もし戦争が起きたら自分は逃げる」とハキハキ答えていました。彼は今何をしているのか気になります。

 また「朝生」は「田原総一朗ショー」なので、このショーに交われないコメンテーターは排除されます。玉川大学のたしか哲学の講師(名前忘却)の若手は、事さらでかい声で議論に割り込んできていて、学生だった僕でさえ「引くわー」と感じていました。案の定、以後の出演はなかっはずです。
 現在ですと、三浦瑠麗さんがたまに炎上してますが、ああいった女性は「朝生」当時からキャラとして必要で、僕が法政の生協で見つけた「噂の真相」で読んだのは、お茶の水女子大美人教授がバッシングされていました。
 美人学者。
 番組には必要で、皆さん、消化されていきました。本物は池田晶子さんくらいだったでしょうか。本物と僕が言うのは「覚悟が出来ている」という意味だと思ってください。
 三浦さんも政治家になるか消化されていくかどちらかでしょう。法政大・田中優子総長のような道もある事はありますが。

 田原さんは、面白いとは思います。多分、近づけば近づくほど良く言う人が多いです(全員ではないですよ)。
 このように「若手文化人売り出し番組」ですから、そこで何か結論も得る事もなく、「議論のために議論をしている」。あるいは「議論を理解している自分」に安心する装置としての「朝生」にムキになって反論したりする事自体、番組が始まって後ろの席に座っていた記号としての「学生」が未だに、SNS上にいるんだなと感心してます。(文◎久田将義)

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