「ブラック企業」と名指しされ、ネット上をはじめ、『週刊文春』などからも激しいバッシングを受けているワタミ前会長の渡邉美樹氏は、自民党候補として参院比例区で当選。公示直前の6月28日には、自民党本部前に、2008年に過労自殺したワタミ新入社員の遺族らが渡邉氏の推薦撤回を求めて抗議活動を繰り広げた。
渡邉氏の知名度が全国に広まるきっかけは、経済小説の大家として知られる高杉良氏が1997年5月、『週刊ダイヤモンド』で連載を始めた『青年社長』だろう。1999年にダイヤモンド社から単行本、2002年に角川文庫から出版された。高杉氏はダイヤモンド社のインタビューに「実名小説」と説明したように、登場する人名や社名は原則として実名だ。「ブラック企業」と評判が悪い今となっては、渡邉氏の言動や初期のワタミの様子が興味深い。
渡邉氏が創業資金を貯めるため、佐川急便で働いたことはよく知られている。
〈与えられる休日は、ひと月に、たった二日である。早番と遅番のローテーションらしきものはあったが、遅番のほうが遥かに多く、朝六時の出勤時間は同じなので、平均実働時間は二十時間に及ぶ〉(『青年社長』より、以下同じ)
すさまじい激務に渡邉氏が耐えたことが描かれる。創業後のワタミもまた、社員にハードワークを要求したようだ。株式店頭公開を控えた1994年1月、本社社員は連日の長時間残業を続けていた。〈由美子でさえ、午後十一時まで残業を強いられる始末だ〉とあるが、1999年3月まで労働基準法は、女性に午後10時以降の労働をさせることを禁じていた。店頭公開を審査する証券会社担当者が女性社員の深夜残業に気付いて、〈「ワタミさんはこんな遅くまで女性に残業させてるんですか」(中略)「わたしでよかったですねぇ。同業者だったら、指されますよ。気をつけてください」〉と注意したエピソードが載っている。忠告に対してワタミ幹部はこんな対応をした。
〈「入来君、九時以降の電話には、出ないようにしてよ。当分の間、残業をお願いせざるを得ないからな」
「わかりました」
由美子も、心得ていた。残業を拒否できる状況ではなかったのだ〉
前述の過労自殺したワタミの新入社員も女性だった。彼女の死について、神奈川労働局はこう記述している。
〈残業が1カ月あたり100時間を超え、朝5時までの勤務が1週間続くなどしていた。(中略)強い心理的負担を受けたことが主な原因となった〉
『青年社長』に出てくる別のワタミ社員は、アルバイトの賃金を過小支払いしたという。
〈午後四時に出店して準備を始めるアルバイトのタイムカードの打刻を五時にして、時給(九百五十円)の一時間分を短縮するせこいことを考え出したのは、笠井である。
「〝KEI太〟はいま現在、赤字なんだ。きみたちも協力してくれよな。そのかわり、黒字になったら、その分必ず挽回させてもらうからな」
ノリのいい笠井に、にこっと肩を叩かれて、これをやられたら、否とも言えないが、挽回はできなかったのだから、結果的にはアルバイトを騙したことになる〉(〝KEI太〟は店名)
労務管理に対する考え方が正常とは言えまい。
Written by 谷道健太
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