いか八朗、という芸人をご存知だろうか?
たこ八郎ではない、「いか八朗」である。近藤覚悟なるものものしい本名に似合わず、144cmの小柄な身長に、いつもニコニコ温和な表情をたたえる、可愛いおじいちゃん芸人だ。
最近では映画『テルマエロマエ』にも銭湯の老人役として出演。予告編にて阿部寛に向かって「外人さ~ん」と甲高い声を発する老人の姿を、ご記憶の方は多いだろう。
御年79歳というから、まさに日本芸能界の生き字引だ。だが、wikipediaにも記述は少なく、ネットで公開されている公式プロフィールは以下の画像ファイルのみ(これが公式です)。
知る人ぞ知るザ・昭和芸人いか八朗さん。僕が彼の存在を知ったのは、靖国神社の例祭として有名な「みたままつり」だった。
お化け屋敷や見世物小屋が有名なみたままつりだが、奥にある能楽堂では奉納芸能が連日開催されている。もちろん英霊への奉納なのだから、おおかたの演目は民謡コーラス、雅楽や舞踊などの伝統芸能が多い。その中で一際異彩を放っていたのが、3年前まで毎年出演していた、「いか八朗とゆかいな仲間たち」なるショーだったのだ。
やけに愛想の悪い人形を使った腹話術、外国人マジシャンによるペットボトル手品、江戸屋猫八ばりにゼロ戦のプロペラ音を再現するものまね、などなど......。
靖国神社の奥の院ともいえる能楽堂で、思いもよらないものを見てしまった! 度肝を抜かれた僕の前に、ついに真打が現れた。
本演目のクライマックス、いか八朗さんによる「戦記漫談」である。
これだけ聞くと、源平合戦や古代中国の戦を語るものと思われるかもしれないが、あにはからんや。時は太平洋戦争、それも特攻隊の突撃する様を口頭で再現するという、ものすごい内容だったのだ。
これは実は、いかさんの実のお兄さんについての話。お兄さんは戦時中、神風特攻隊に所属しており、太平洋にてアメリカ艦船に突撃し亡くなっていったという。
「昭和20年、3月の16日......」
軍歌のインストルメンタルをバックに、お兄さんが両親にあてた遺書らしき文章を熱っぽく語りはじめる、いかさん。舞台に上がってきた時はご高齢のためか、正直こころもとない足取りと口調に見えたが、芸が始まったとたんにキリリと緊張感が走る。
続いてゼロ戦のエンジン音。遺書の言葉と、お兄さんの特攻の様子が重ねあわされていくようだ。
「お父さーん! お母さーん! わたしは、天皇陛下のために死ぬのではない! お父さんお母さんを守るために死んでゆくのです!」
いかさんが語り終えると、しんと静まり返る靖国境内。実際、お兄さんの霊が奉られている場所で、その最後の言葉を語っているのだ。その迫力たるや、小柄なお爺ちゃんのどこから発せられるのかというくらいに凄まじいものがある。
クライマックスの「天皇陛下のために死ぬのではない!」という台詞が物議を呼んだのか、年によっては右翼過激派たちから大声でブーイングや野次が飛んだこともあったという。しかし、いかさんは全く無視して漫談を続けていたというから、飄々としているようにみえて、かなりの気概の持ち主である(単に耳が遠くて聞こえなかっただけ、という説もあるが)。
そして最後には、いかさん他「ゆかいな仲間たち」の演者全員が舞台にあがって『りんごの唄』を大合唱するというグランド・フィナーレ。東京のど真ん中で、まるでフェリーニ映画のワンシーンを再現しているかのようだった。
大感銘を受けた僕はさっそく、いかさんが所属する人喰い企画に連絡。二年ほどに渡り、中野で開催する寄席を手伝ったり、出演させてもらったりしていた。残念ながら、みたままつりへの出演はここ三年ほど途絶えているが、いかさん他お歴々の芸人たちを目の当たりにできた。その辺りのエピソードも、別の機会に語りたい。
そんな稀代の芸人、いか八朗さんだが、昨年末に引退を発表。
現在では、僕の知り合い関係からは連絡がつかなくなってしまい、ほぼ消息不明である。某区にてお住まいとの噂もあるが、また機会あればご挨拶させてもらいたいものだ。
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Written by 吉田悠軌
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