9月28日、新宿に縁の深い歌姫が急性心不全のため都内の病院で亡くなった。クレイジーケンバンドの横山剣プロデュースで脚光を浴びた渚ようこ(年齢及び本名非公開)だ。
渚さんと言えば、歌手活動と同時に新宿ゴールデン街で「汀」という店を開いて自らがママを勤めていたこと知られているが、一方で街の住民にもプライベートはほとんど明かさない一種の神秘さもあった。それだけに、「つい、この間まで次のライブの告知もしていたから、本当にびっくりした。なんでも懇意の知人が発見したとか......」(ゴールデン街の某店主)とゴールデン街の住人も驚きを隠せない。
そんな渚さんの徹底したプライベート管理は、彼女特有の世界観を作り出すことに成功し、その世界観に多くのアーチスト・表現者が魅了された。追悼の言葉を贈った横山剣を始め、コラボレーションを行った大御所作詞家・故阿久悠、自身の作品で劇中歌をうたわせた故若松孝二、世界的評価も高い写真家の森山大道などなど......錚々たる面々が顔を揃える。
このように、歌手・表現者として多くの人を魅了した彼女であるが、ゴールデン街のママとしては、また別の顔も見せた。かつて、ゴールデン街で勤務していた女性はこう話す。
「『汀』を開く前、まだ渚さんがほかの店でバイトをしていたころのこと。いつもはファンで満席なんだけど、明け方にふたりきりで話す機会があった。そんなときの渚さんは、スタイルこそ抜群で歌手という感じだけど、女の愚痴に熱心に耳を傾けてくれるお姉さんになる。そのときも、失恋直後でグタグタな絡み酒だった私に、"私は、そんなに人を好きになったことはないな......"と慰めてくれて」
また、他のゴールデン街の住人によれば、いでたちこそおしゃれな帽子など被って"芸能人"という感じだったが、昼間は自転車に乗って移動し、にこやかに挨拶をする気さくな女性だったともいう。
そしてもうひとつ、忘れてはいけないのが、彼女の社会に対するスタンスである。別のゴールデン街関係者はこう証言する。
「ドヤ街である横浜寿町で毎年、ドヤの人たちのためにコンサートが開かれているが、そのコンサートに渚さんは6回も参加してくれた。ほとんど、ノーギャラで仕事としては割が合わないんだけど、そこのところは信念だったのだと思う」
さらに、
「コンサートで印象に特に印象に残っているのが、『サマータイム』を歌ったとき。会場の雰囲気が一瞬で変わったのを覚えている。かっこよかったよ」
ドヤ街で歌う『サマータイム』。確かにビジュアル的にはさまになるが、それが合う人間もそうはいない。渚ようこだからこそ......とは言えるだろう。
このようなことを考えると彼女は、権力に迎合しオリンピックの演出にもかかわる自称・歌舞伎町の女王とは対角に存在していた、真の意味での歌舞伎町の女王......とも言えるのではないだろうか。(文中敬称略/取材・文◎羽田翔)
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